29 Jul 2011
尚、ついでながら「禅宗」や「擬似的体験」という言葉が導き出されたこの時点で
、是非ともお伝えしておきたい事があります。
私が病気快癒のバイブルと位置づけている『白隠禅師の「軟酥の法」』というもの
がございます。
江戸の昔、若い頃(28歳だったそうです)の白隠さんが、重篤な労咳(肺結核の
ことで、当時は絶対的にに不治の病だったのです)で余命は数ヶ月と医師に宣告され
ながらも《溶けて軟らかく流れる〔蘇(酪のこと、醍醐を指します、今日のバターで
す。当時は大変に高い滋養を持つものと考えられていたのです)〕に身を浸している
と仮定し、そのエキスで全身が浄化されるので病は癒える、と念じ続けた結果ついに
快癒したという故事がございます。
私の人生観、人間観、人間の能力というものの捉え方(記憶術も含めて)は、この
言い伝えが礎であり根源となっております。
この事を記憶術がらみで考えてみますと人間の身体ということは、たとえそれが疑
似体験であったとしても、それによって誘発される”疑似的記憶”は心身を劇的に変
化させ得るほどの力を持つということですね。