円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆『仏教では「願う」、「頼る」という行為が「無知」による悪弊を消してくれるのです』

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☆『仏教では「願う」、「頼る」という行為が「無知」による悪弊を消してくれるの

 

です』

 

 もし、私のこれまでの論調が冗漫に流れすぎていて、あなたにとっては単なる饒舌

 

か駄弁に過ぎなかったとしても大丈夫です、安心してください。仏教には、苦しみか

 

ら解放してくれる「帰依」という極めて楽な方法が用意されているのですから。

 

 私たちは人間です。社会的動物としてその人間社会にどっぷり浸かってしまった場

 

合には、その身に宿業(しゅくごう)を持った人間ですから、なかなか「無知」を自

 

覚して、精進することが出来にくいものです。そんな愚かで哀れな私たちのために、

 

仏教の世界では御仏に「帰依」することで救われるようになっております。「帰依」

 

とは「あなた様に全幅の信頼を寄せ、わが身を捧げます」という意味です。

 

 皆さんご存知の「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」等の頭にある「南無」がそ

 

の意味で使われているのですね。「南無=帰依」なのです。「南無……」を唱えると

 

いうことは即ち、「我が身の一切をあなた様にお捧げ致します」という意味なので

 

す。

 

 さて、ここで大事なのは、帰依すべき「阿弥陀仏」等が直接的に大いなる宇宙を具

 

現化している存在物ということです。何も人間が作り出した、単なる仏の形をする彫

 

刻物に身と心を捧げることを意味しているわけではありません。

 

 宇宙の真理を体現している仏体であるからこそ「頼る」、「願をかける」のです

 

ね。その、大いなる宇宙の真理に思いを捧げることになるのですから、結果として有

 

り難いご利益が生じるのです。

 

 何故ならば、この世に生きる上で持つ様々な難苦への囚われを御仏に身を任すこと

 

によって昇華できるのですから、それだけで心身の障りが雲散霧消してしまうので

 

す。それまでの痛み、苦しみが消え失せてしまうのですね。

 

 つまりこのことは、私が冗漫がちながらも延々と述べてきたことと同じなのです。

 

人間界の持つ身勝手で頑迷固陋な論理から心神を解放して”宇宙の真理に帰依しなさ

 

い”、というのが私の主張点なのですから、同じことなのです。従って、キリスト教

 

者が「神を信じなさい」というのと同義なのですよ。

 

 そしてまた更に言うなら、キリスト教に限らずに普遍的な宗教とされるものは皆、

 

宇宙の真理に帰依し、同化することを説いているのです。

 

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