5 Sep 2009
☆『人間は本来的には楽観論者なのです』
大いなる宇宙や阿弥陀仏と全能の神ヤハウェ、そしてまた偉大なるアラーの神から
この世でのわが身の仕置きを委ねられている私たちというものは、もちろん生き生き
と活動しやすいように健康と幸福と希望が備わっているのが原型なのですね。
どのように考えたってその反対の、病気で不幸せで絶望が支配する生き物ではあり
えませんのです。
もしそうだとしたなら、私たちをこの世に送り込んでくれた阿弥陀仏たちの意図を
推し量りかねましょう。最初から生き地獄の中で暮らすように設定されているなんて
事は考えられません。論理が成り立ちませんのです。
人間は成長するようにできています。これは、私たち人間すべての基本原理です。
そして、成長の源泉は天与の肉体と精神です。成長の過程には喜びと楽しさが伴いま
す。成長の先には希望と安定が約束されているのです。
このように私がはっきりと明示できる人生の何処に悲観しなければならないところ
があるのでしょうか。
阿弥陀仏のくださった生命に悲観論はなじまないのです、相容れません。これは絶
対真理です。従って、本来ならば「悲観論」という言葉も無用なのですよ。
ですから、あなたが悲観論者であることを標榜していられる根拠はどこにもないの
です。