3 Sep 2009
☆『阿弥陀仏が健康と幸福を与えようとしているのに、私たちの心の中の異物がそれ
を阻むのです』
大いなる宇宙のすべてに満ち満ちている阿弥陀仏のお慈悲が、私たちに健康で幸福
に生きるための手立てとして、この身体をくださったのでした。ですから、その幸福
を維持するためのご加護の御手も常に私たちに差し向けられているのです。
では、何故に病を患って苦しまなければならなくなったのでしょうか。
個人個人に不幸をもたらすものは自然界ではありません。天災は誰にも平等に降っ
てまいりますからね。とすると、不幸の源泉は人災のみということになります。
人災というものは人の心に帰結します。心には人の心と他人の心とがありますが、
他人の心は度し難いものです。動かすことが容易ではありません。
でもですね、しかしながら幸いにして自分の心を変化させることは容易です。変化
させてその思考癖を改良化、改善化すればよいのですからね。私たち皆が人災の根源
を有する一人の人間ですから、他人のもたらす人災の元と同じものを自分の心と精神
の中より摘み取って、それを適宜に変えていけばよいのです。
さて、大いなる天の恵みを率直に取り入れたなら人間の思考論理は道理に添ったも
のになります。それを阻害するものとなると、当然に人間社会から植えつけられた恣
意的な概念ということになりますね。
つまり、天恵を阻害する心の中の異物とは人間社会に蔓延してしまってあなたにも
取り付いている頑迷固陋な概念なのです。
社会的概念とは元来、支配者側に立つ人々にとって都合の良い社会秩序の維持を目
的に生み出されたものなので、自然的に個人の人格に制限を加える傾向を持つように
なっているのですね。個々人の自由性を蝕みながら伝統社会で生き続けているので
す。
これは害毒です。人間の自由な成長を阻む毒なのです。無垢な人々の健康を蝕んで止
まない元凶です。