円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆『力強く生きて行かねばいけないのだ、と思うから辛いのです』

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☆『力強く生きて行かねばいけないのだ、と思うから辛いのです』

 

 世の中では皆さんがみなさん、「強く生きなさい」というものです。「強くあらね

 

ばいけないものだ」と、誰もが言いますね。でもですよ、強くないほうが良いのでは

 

ないかと私は思っているのです。強く生きようとすると疲れやすいですからね、「強

 

くあらねば、固くあらねば」と思っているとあちこちで抵抗を受けるものですから

 

ね、シンドイものです。それなのに、「それだから尚更、それに負けよう強くあらね

 

ば」と皆が言うのです。

 

 これでは、せっかくの人生が「苦難」の連続で終わってしまいます。”生活=苦

 

難”では何のための人生でしょうか。これは変です、おかしいです。「我がいとしい

 

人間たちに、ぜひ楽しかるべき人生を提供しようじゃないか」と思ってくださる、折

 

角の阿弥陀如来(神です、アラーです)のお心配りを無にするなんぞは、どうにも解

 

しかねる所業です。

 

 ですので、そうではなくて柔らかく、「しなやか」に生きていくよう私は提案する

 

のです。

 

 「今日も何とか無難に過ごせたようだ。これなら無事に明日の朝日も迎えられよ

 

う」と柔らかに考えているほうが、何かと楽にいられるものです。しかも、楽な心境

 

でいられる分、気持ちも前向きで積極的な行動をするようにもなるのです。

 

 皆さんが一般的に言うところの、「強くなければ生きては行けぬ」ということは、

 

「兎に角ひたすら頑張って、強く生きていかねばいけないのだ、ダメなのだ」なんぞ

 

という片意地張った生き方になってしまいますよね。何度も言いますが、これは辛い

 

ものです。

 

 何故に辛いのかと言いますと、「強く」という言葉を発した場合には、その含意と

 

して「硬く」や、「堅く」、「固く」などを加味して言っています。つまり、「強く、

 

かたく(硬く、堅く、固く)、負けないように」という具合に、いつも油断しないよ

 

う気を張っていなければなりませんのです。気が抜けないのです。安楽にはしていら

 

れないのですよ。そうして、いずれは「大きくなって人を見下ろす人間」になるまで

 

叱咤激励が止みません。

 

 でもですね、私の推奨する、「しなやか」の場合は、「靭」や「綽」と「繊」等、三

 

つの漢字が宛がわれます。これらの意味するところはですね、先ず「靭」は「弾力が

 

あって強い」ということですし、ついで「綽」は「ゆったりとして、たおやか」な様

 

を指すのです。そうして特に、「繊」などは「細いし小さいが柔らかで美しい」こと

 

を意味しているのです。

 

 従って、「しなやか」に生きるということは随分と気楽で結構なことなのです。し

 

かもその実、こよなく素敵なことなのです。

 

 ちょっと前に「座右の銘」として引き合いに出した「怒らず、恨まず、焦らず、腐

 

らず、諦めず」というものは、正に「しなやか」に生きることそのものなのですよ。

 

 このこと、宜しいですね。「強く生きよう」として気を張っている生き方は辛いも

 

のですし、いつかは崩れて壊れる可能性が常に孕んでいるのです。

 

 何故なら、「硬い」の反語は「もろい」のですし、「硬い」のそれは「(確りしてな

 

くて)やわらかい」です。そしてまた「固い」は、「ゆるい」のですからね、反語のど

 

れをとっても「気楽」ではいられないのです。

 

 現に、強く生きようとしたあなたは、お心を崩して「うつ病」を病んでしまってい

 

るのです。

 

 何度も何度も申しますが、私たち人間はすべて、阿弥陀仏の代理人なのですよ。片

 

意地を張って強く生きようなんて考えなくても幸せはくるのです。望んでいる健康な

 

身体になれるのです。回復することが約束されているのです。

 

 最後に付け加えておきましょう。「かたい」には、「難い」の意味もあるのです。

 

これはですね、「かたい」状況でいると、「成し難い」のだ、ということなのです

 

ね、何事においても。

 

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