円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆『”いじめ”と”みじめ”の真ん中に”まじめ”と”けじめ”がありますのです』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

☆『”いじめ”と”みじめ”の真ん中に”まじめ”と”けじめ”がありますのです』

 

 真面目にけじめがつけられる人というものは、自他の存在を両にらみにしていて、

 

どちらも決して疎かにはしませんものです。なぜなら、他人を右目の視野に置く見方

 

をしておいて自分に関しては左目で捉えるようにするものです。つまり、自分を中心

 

に置くようなことはしないということですね。いわゆる”自己中”にはならないよう

 

配慮するのです。客観視するのです。

 

 では中心に何を設定するかと言うと”人間”です。「人間という生存物はこのよう

 

にありたいもの」とする理念、理想をかかげているものです、真摯に人生というもの

 

を考える人はですね。

 

 このことは、”ヤジロベー”を思い描いてみれば分かりやすいでしょう。”人間”

 

を心棒にし、両端には他人の存在と自分のありようを据え置いたヤジロベーです。

 

 ですから、心棒のところで真剣に人間のありようを思考しようとする人は、自分と

 

他人の存在を対等に扱うことになりますから、他人を”いじめ”たり、自分が”みじ

 

め”になったりすることはありません。 

 

 つまり自分には勿論のこと、他人の存在に関わることにも”まじめ”に対処しよう

 

と心掛ける人は物事の”けじめ”もきちっとすることになるからです。このような人

 

物というものは、他人を”いじめ”るようなことは絶対にしませんし、自分が”みじ

 

め”になるような状況にもなりませんものです。出処進退が明確ですから必然的にそ

 

うなるのですね。

 

 上記のことを前提にして申しますが、ご自分のうつ病に悩まされているお人は、こ

 

の「真面目にけじめがつけられる人」なのです。イイ人なのです。「ドッコイ、すて

 

たもんじゃありません」のです。

 

 この点において鬱の人は自信を持ってよいのですが、謙虚が先立って胸を張れない

 

のです。”みじめ”な状況では決してないのに、自ら”みじめ”を決め込むのです

 

ね。他人への心配りを優先するがあまりのことなのですよ。

 

 でもそうですね、阿弥陀仏の代理人としての私には、「それもまた良しかな」とも

 

思うのです。阿弥陀さまの目から見れば「すべてこの世は事もなし」なのでしょうか

 

ら。

 

 あなたもまた、阿弥陀仏の代理人なのですよ、よろしいですね。

 

関連記事

アーカイブ