円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆『1日一度は生前死後に思いを馳せてみよ』

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☆『1日一度は生前死後に思いを馳せてみよ』

 

 「死んだ気になれば何でもできる」、世の中の人々はよくこう言います。でもです

 

ね、死んだ経験のない人は出来ませんのです、そんな大胆な事はですね。一度死んで

 

あの世が楽しいところであることが分かっている人でないと、容易には死んでもかま

 

わない、なんていう気にはなれませんでしょう。極楽浄土を力強く説かれてもその気

 

にはなれませんのです。恐らく、そんな心境までに開き直れる人は、瀕死の重傷から

 

立ち直ることが出来た過去を持つような人のみでしょう。「九死に一生を得た」よう

 

な人しか出来ません。

 

 でも、普段から何事をも成し得る気構えを持つようになれるにはどうしたらよい

 

か、というのが此の章のテーマですので、その辺の心得を縷々(るる)述べてまいり

 

ましょう。

 

 既に、このシリーズの「その12」で述べました、〔1、「邪念除きのための根源

 

的な四つの概念」〕を頭脳の片隅にでも収め置いてくださる方なら、上記のことは至

 

極簡単なものになるはずです。

 

 ではどうするかといいますと、ポイントは二つです。

 

 先ず、自分の命が存在しなかった頃のこの浮世に自分は何をしようとして生まれて

 

きたのだろうか、という観点を持て、ということです。折角この世に生まれ出でるこ

 

とによって得た「行動する権利」を何に対して、どのように使うか、ということを考

 

えなさい、ということですね。

 

 この、自分が生まれる前の「未生以前」というものは、禅宗における有名な”公

 

案”と呼ばれる命題です。「無為に過ごして無駄にしてしまっては何とも勿体無いこ

 

とだ、倦まず絶ゆまず精進しょう」、との心境に到達できるまで考えさせよう、との

 

計らいなのです。

 

 さて、次には死後についてですね。

 

 自分の骸(むくろ)が荼毘(だび)にふされて灰になり、壷に入れられて早くも五

 

年、なんていう未来を想像してみるのです。するとですね、大事な人生の半分が惜し

 

まれ出すのです。昨日までの過去の優柔不断な処置を行ってきた悔いや懺悔の思いが

 

してくるものです。後悔が身を責め出すと、これではならじとて、今日の一日のやる

 

べきことを確かな実のあるものにしなければ、と思うようになりますし、明日の行事

 

に積極的に係わって行こうとする意欲も湧いてくるものです。更には、未来の自分に

 

どんな姿を望みうるかが分かってきて将来の設計図が具体的に描かれだすのです。

 

 一日のうち、どんなときでも良いのです。一度で結構ですから我が身の生存前と没

 

した後の世の状況を鑑みてほしいのです。

 

そうすると、肝が据わりだし、心が定まりだすからです。その結果、やるべきことが

 

案のほか容易に出来るようになるからです。

 

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