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☆ ”品格”を身に備えるにはどうしたら良いかとお悩みの方へ!その7。

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☆ ”品格”を身に備えるにはどうしたら良いかとお悩みの方へ!その7。

 

・『君子の過ちや日月の食の如し』

 

 君子は過ちを犯しても小人と違って隠そうとはせず直ぐに改めるので、人々が日食

 

や月食を見るときのような感銘を与えるものだということです。

 

 心弱い私たちにはそのように見事な振る舞いはできかねるものですが、でも誤魔化

 

したり体裁をつくろうことなどは恥ずべき行為だ、と知っているだけでもこの戒めに

 

沿った態度はできましょう。

 

 目鼻立ちがはっきりとして整っている人が美人や佳人だと言われるのと同じよう

 

に、次のように言動が際立っている人は君子と言えるのです。

 

 「ありがとうございます、感謝申し上げます」、「間違っていました、ごめんなさ

 

い」、「そのことに関して、私の意見は…ですので、…いたします」、「このような

 

状況は辛くて悲しいです」、「そのようにされると私は困ります」等々のように、”

 

感謝”、”陳謝”、”主張”、”悲哀”、”困惑”と言う五つの感情と思考を明確に

 

出来る人は君子なのですね。出処進退がはっきりとして鮮やかな人は君子を名乗る資

 

格が十分なのです。

 

 一般の人々にとって、頭を下げて詫びる、謝罪するという行為は誇りだ、自尊心

 

だ、というものが邪魔をしてなかなか出来ないようですが、これは相手側が上位に在

 

って、自分は一段下のランクである、という状況を確定することになるので自己保全

 

の意味合いで認めるには抵抗があるということのようですね。このような人は、同じ

 

ように頭を下げる行為である率直な感謝の表現も極力避ける性癖があるものです。

 

 でもですね、自己の尊厳の保持というものを人間存在の本来的な意味合いにおいて

 

捉えることが出来ている人ならば、感謝も陳謝も容易に、かつ積極的に出来るものな

 

のです。むしろその反対に、自己のありようを大切にすればこそ上述した五つの事柄

 

を気軽に扱うようにもなるものなのです。

 

 あなたにとっては、私が述べるこの辺の意味するところが極めて理解しにくいでし

 

ょうが、それも無理のないことです。私の物言いが変人っぽいことを十分に自覚はし

 

ておりますので。

 

 ですが、その一般世間的な感覚とは一線を画すような私の考え方には確かな論究に

 

根ざした妥当性があることが分かっていただけるはずだと自負する思いが私にはござ

 

いますのです。

 

 大分、理屈っぽくなってきましたことをお詫びしつつ続けます。

 

 つまり、自己の存在価値を明白に把握できたなら、頭を下げることがずい分と容易

 

になるものなのです。そのように言い切れる私の論点をこのブログ上で開陳しており

 

ますので、ご参考にしていただければ幸いです。今年の2月25日から3月1日にわたっ

 

て書き綴りました、『邪念除きのための根源的な四つの概念」その4の④~⑧』に目

 

を向けてみてください。私たち人間一人ひとりが有しているその尊厳性について論ず

 

る私の見解を縷々展開しておりますのでお読みいただけると大変に嬉しいことです。

 

 さて、話が一転しますが、ここにおいて”憤怒”が挙げられていないことを不審に

 

思うでしょうが、”怒り”の感情というものの本質は”困惑や戸惑い”なのですね。

 

一般にはいきなり怒り出す人々が多いものですが、自分の身の上に生じた理不尽を”

 

怒るべきもの”として捉えるとその後の処置が簡単には出来にくくなってしまうもの

 

です。そうではなく、”戸惑いを起こさせたもの”という風に認識した上で、その起

 

きた原因を吟味しようとする処理の仕方は、”怒り”のそれに比較したなら格段にス

 

ムーズな結果を得られるものなのです。

 

 つまり、君子というものは自分の感情を害するものを”困惑”と把握して、なるべ

 

く穏やかにその解決方法を探るものです。それとは違って、容易に”憤怒”を露にし

 

てしまい、その処理をこじらせ難しくしてしまうのは小人の処世の仕方です。このよ

 

うな小人に大願成就はなりませんでしょう。”希望”はあなた様の身の回りから遠の

 

いて寄り付きませんのです。

 

原口風君子論

 

 『出処進退が鮮やかなれば君子なり』

 

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