円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆2、「吾の心と我の心」その1。

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☆2、「吾の心と我の心」その1。

 

 さてここで、私たちの日々の暮らしについて考えてみましょう。

 

 常々、私たち人間の暮らしというものは絶え間なく生じてくる物事の判断とその処

 

置に終始しているものです。日常の暮らしにおいて決して絶えることなく湧き上がっ

 

てくる出来事のそれぞれを判断し、その処置を決定していなければなりませんものな

 

のですね。そうして、その際にどうしようかこうしようかと思い戸惑うその時そのと

 

きに私たちの心の中には「人間としてこうすべきである(或いは、こうありたい)」

 

という”吾”側が顔を出してきます。一方、「イヤ、それでは辛いからこうしたい」

 

と抵抗する側には”我”の方が陣取っています。

 

 ここに書き出しましたこの”吾”と”我”は、共に自分を指す”われ”を意味して

 

いるものとされています(”吾”の方は昨今ほとんど使われず死語に近い状態ではあ

 

りますが)。がしかし、私はその使い分けに大きな違いを持たせてこの場に引っ張り

 

込んでおりますのです。私たちの心の中には”吾”と”我”の二通りの人間がそれぞ

 

れの陣営を構えて対峙しているのだろう、と考察しているのですね。リッシン遍をつ

 

ければ”悟り”となる吾と、”我欲”や”我慢”などと欲心や慢心が寄り添いやす

 

い”我”とが相対しているのではないかと観ているのです。

 

 ”吾”の方は真理であり、道理であり、本来的、本質的思考を選びます。他方の”

 

我”は我利や我執を誘発して現実的な、時には堕落的思念に偏りがちです。この二つ

 

は常々対立し葛藤しあうので私たち人間はこっちに左右され、あっちに惑わされして

 

日々かき乱され続けて生きているのです。もちろん無意識にではありますがその辺の

 

折り合いもついてハッピーな気分でいられる日も多いものなのですが。

 

今日の一言

 

 私はわれ、我ではありますが、吾でもあるのです。

 

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