21 Feb 2009
☆1、「邪念除きのための根源的な四つの概念」その3の③。
そんなわけですので、不幸を嘆く者が幸運者をうらみ妬もうが、不遇者同士が戦い
合おうが神仏たちはどちらの味方にもならないのです。一方の側に肩入れするような
ことはしないのですね、神仏にしてみればどちら側の者も同価値なのですからそれは
出来ない相談なのです。はっきり言えば、こっちが勝ったとてあっちが勝ったとて、
どうでもいいのですよ神たちにとってはですね。勝ち負けや優劣を争うことに意義や
正義、道理を見出すのは人間の側の勝手な理屈であり、そこには神仏の意図が入り込
む余地はないのです(多分ですが)。
要は、創造主側から見たなら私たち一人ひとりの誰もが同一価値なのだということ
です。私とあなた、あなたと彼、彼らと私はおんなじ”無価の宝珠”(むかのほうじ
ゅ、仏教言葉で計り知れないほど価値高いことを言います)なのです。これが隣人愛
の源泉となる知恵です。
このことを理解していれば自他ともに尊重する気持ちが芽生えてきます。自分と同
様に他人の存在にも重きを置くことができるようになるのです。
つまりですね、”彼我等価への目”を持っていればこの世の誰に対しても、どのよ
うな人に接しても温かくやさしい心根を以って向き合い応じることができるのです。
今日の一言
”無価の宝珠”と”彼我等価への目”は人間をして人間足らしめる二本の柱です。