円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

”前向き”の姿勢につきお話させていただきます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 ”前向き”の姿勢につきお話させていただきます。

 

 人間の生命活動(つまり人生です)は未来志向が絶対的な前提になっております。
 オギャーと産声を上げてからの成長の目覚ましさは勿論のこと、それ以前の母親のお腹に宿った時点から未来に向かって進歩を始めておりますから、私たちの人生には明日への向上性がお遍路さんのように”同行二人”として随伴していることになります。

 

 ですから、人間は皆、未来志向が大前提なのです。前向きが絶対の前提になっているのです。言い換えれば希望があるのが前提なのですね。希望が心と精神に密着していて離れることがないように運命づけられているのです。誰でもが、です。

 

 したがって敢(あ)えて申しますが世の中全体が一般的に大げさに捉えている”絶望”という状況は、絶体絶命や完全な途絶を意味するようなことではないのです絶対に。人生上において、絶望や失望が希望を上回る状況になることなどはあるはずがないのです。
 希望が天から授かった絶対的な価値を持っているのに対して絶望や失望は人間的な営みの上での現象であり、ある一時的に限定された状況を指すだけのものなのです。
 つまりその程度のものなのだから、ダメだったらやり直せばよいのですし、迂回すればよいことなのです。違う道を探せばよいことなのです。絶たれたり、失ったりというのは一時の場面を指すのであって、完全な進路の断絶を意味するものではないのです本当に。

 

 そんな訳ですので言うなれば絶望とは、「絶壁」「絶頂」「絶妙」「絶景」「絶唱」「絶海」という風に使われる際の”絶”のように用いるのが妥当なのではないかと私は思っております。そうすれば意味内容がひっくり返って「非常に優れている、これ以上のない、理想的な望み」という大変ポジティブなものになります。断然こちらの方が妥当です。
 また、失望はもっぱら【希望したことに合致しない「(株)角川書店発行『新字源』288版」】という使い方をすればよいのではないでしょうか。

 

 要は、人間は希望に裏打ちされた生活を送るようにできているのです。
 そのように感じられないのなら多分”大いなるかん違い”をしていることになりますのです。皆さんが電車の座席に座っている際、自分の乗る車両が動き出す前に隣の電車が動き出すと自分の方が発車したように感じることがあります。完全なかん違いなのですがしかし、かん違いにしては身も心もしっかり動きだしたと思い込んでおりますものです。自分で錯覚して自分で自分の心身を動いた状況にしているのです、かん違いなのにです。こんなようなことを私は『大いなるかん違い』と呼んでおります。

 

 人生上には同じようなことが多いものです。大いなるかん違いをしていることが沢山あるのです。社会の通念や通説に捕らえられて大いに間違った、理に適っていない生き方をしているものなのです、多くの方が。これは社会の損失です。大いなる人類の損失なのです。

 

 またまた好き勝手にご託を並べてしまいましたことお許し願います、8/8にコメントをくださった「みっかさん」。

 

関連記事

アーカイブ