円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

世の中の皆さんが思い違いをしています。本来、記憶力は衰えるものではありません

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 前回の原口式記憶(瞑想)法・その2で、〔本当は記憶力は容易には衰えるものではない〕という意味のことを述べました。
 このことは極めて大事なので、改めてまたここで取り上げることにします。 

 

 私には年齢と体力の関係において長い間、大きな疑問がございました。
 人間の能力は20歳付近を境にして衰えていくものだ、言われています。でも、このことがどうにも解せませんでした。日本人の平均寿命は80歳台後半だそうです。生理学的な理論上は120歳まで可能だとも言われています。
 とすると成長期の20歳までよりも衰退していく20歳以降の方が断然長いことになります。これがどうにも腑に落ちなかったのです。人間にとって人生とは衰えるためにあるのだろうか、という疑念で合点がいかないのでした。

 

 でも、ある時ハタっと気付きました。100歳近くになっても、なお創作力の衰えない作家さん達の業績に思いをはせているうちに一瞬、閃いたのです。身体能力と頭脳能力は人間の生命活動上の意味するところが大きく違っているのではないかと言うことに気づいたのです。
 かつて人間の身体能力上の差異は微々たるものだ、とお話ししました。運動神経が悪いと言われる人でも日常の生活に何の不都合もありませんし運動選手と比べても何等の遜色(そんしょく)もございませんのです。
 ですが精神面となったらどうでしょうか。芸術家の方や学者さんたちは当然、青年期よりも壮年期の方が、さらには壮年期よりも老年期の方がはるかに大きな業績を上げるものです。これ等の方々の成績というものは記憶機能の働きが根底になっておりますことは分っていただけるはずです。昨日の記憶が前提となって今日の積み重ねが可能になるのですから。したがって、この方たちは記憶力が衰えてはいないことは明白です。
 職人たちだって年配の人ほど、より精緻(せいち)で優れた技を持っているものです。職人さんたちの技は身体に備わったものだから精神面のものではないと反論したい気持ちもありましょうがしかし、心理方面のものではないことも明らかです。しかもその腕や指の微細な動きのくり出しはもはや無意識上の動きです。単なる運動神経上のものとは思えにくいのです。

 

 もちろん、このような方々だって我々と同じに日々見聞きする物事が心にとどまり難くはなっているだろうと思われます。当然、記銘力は衰えているのですから。

 

 さて、ここで言う記銘力というものは天が与えてくれた生まれつき身に着けている受動的な感銘力のことなのです。見聞きすることに直感的にわき出る感情の産物です。つまり若い時分は感受性が強いから、それに伴い心にも記銘されやすいのです。

 

 ツイツイ分かりにくい言い回しになってしまいました。結論を急ぎましょう。
 青年時代までこの記銘力で知識と知恵を付け、その後は衰えていく感銘力を尻目にして自ら記憶する方法を創造していくように、との天の計らいが私たち人間の頭脳に脈々と息づいているのではないかと私は想定しているのです。
 ”記銘力(感銘力)”は主に受動的な感受性に伴って引き起こされるものですが、”記憶力”の大方は能動的な創造性に伴って出てくる能力なのです。なおこの場合、記銘力は感銘力と言い換えた方が分かり良いかもしれません。
 
 簡単に申しますと、記銘力は主に心理面に属し記憶力は精神面に付随(ふずい)するもののようなのです。

 

 そんなわけで結論です。記銘力は衰えても”記憶力”そのものは多分死ぬまで衰えないものなのだろう、と考えられるのです私には。もちろん病気なら別ですが。

 

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