円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

神の存在とは

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人生訓
 
 「ある宗教団体に属しているが、信心が足りない神を心から信じろ、と言われる。神って本当にいるのだろうか、神の存在をどうしたら実感できるのだろうか」との相談を受けました。同様の疑問を抱えている人々も多いでしょうから、私の考え方を披露しておきます。尚、ここでの神は普遍宗教(世界的な宗教のこと)で指す神のことと限定します。
 
 単純なこと、神(私は深遠な大宇宙の運行を司る存在を差すものとして見ております。仏教では即ち阿弥陀仏です)の存在を具体的に人間の言葉で色々様々に云々しようとしても全く意味がありません。何故なら人間がその存在をあれこれ言える程度のものならば既にしてもう神ではありません。また神を崇(あが)める意図で「神は人間の冒さざる存在」という宗教者がおりますが、「冒す、冒さざる」を言い募(つの)れる存在自体からして神の位置の遙かな下に置かれることになってしまいます。早い話、神は人間風情がああでもない、こうでもないと言い立て得るレベルではあり得ないのです。

 

社会観察
 
 太陽を神として崇める宗教は太陽そのものの存在の有り、無しを論議することなど絶対にしません。それは太陽が現実的に目にすることができるからではなく、あり難い太陽熱を直接感じ取れるからなのです。
 同じような意味で私たちも自分の体内に神の創造手が入り込んでいることが感じ取れるはずなのですが、創造主の妙手を日常あまりにさりげなく利用できているものだから有り難味がツイ見過ごされて感得されずにいるのです。ですから神にかしずく人々が只ひたすら「神は存在するのだ信じなさい」「有り難く思えよ感謝しろ」と口を酸っぱくして言い続けることになるのでしょう。

 

 ご存知のように人間の持つ脳の仕組みや内臓機能、防衛システム、単純なこと手足の動きからして大変な能力ですし、それは見事な造りなのです。それを一度実感したなら私たちにとって神の支えが磐石なものであることを確信しましょうから感謝の思いが心に満ち満ちてきましょうし、そうなれば嬉しさ有り難さで自然と顔がほころび始めるものなのです。
 
 そうなのではありますが、しかし一般に我々は現実世界に在って煩悩や迷妄の渦中を離れ得ず、世迷い続きの日々を苦しんでいるのが現状なのですから、「強い精神を持って煩悩を取り去れ」「正しい精神を身に着けて心の闇を消し棄てろ」「愚鈍は罪だ、ものの道理をよく学べ」と攻め立てられたって、どうにもこうにも困惑するだけになってしまうのです。

 

 教育社会の有り様もまた、少なからず邪魔立てをしています。そんな、人の身体の文字通り神妙なまでもの機微を自然科学上の自律の一部とのみ捉えさせる教育方針では、人をして敬虔にさせる肝心の有り難味が心に沁みこんではこないようになってしまっているのです。学びの場に宗教論を持ち込んではならない社会ゆえであるためなのですが、それにしても宗教界を刺激せずに敬虔な精神を育む方策は幾らでもありますのに残念なことです。

 

 更に加えて、その備え付けてもらった有り難い能力に感謝の思いを持たせないどころか、反対にその能力の採るに足らない微妙な差異を態々(わざわざ)拡大に解釈させて、優劣感や勝負の感情を煽り出しているのです。

 

今日の一言
 強くなれないのが人間です。弱いのが人間の本質なのです。弱さを前提にして導いてくださいな、宗教者さん。哀れな子羊たちなのですから。

 

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