円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

人間は何故病気になるか

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

人生訓
 人間は病みます。病気に罹(かか)ります。何故でしょうか、なぜ病に苦しまなければならないのでしょうか。……それは、我が身の価値を知らないからです。無価なす宝珠の貴さ知らないからです。知らないために、日々の扱いが雑過ぎます。我が身の処置を軽んじ過ぎるのです。  
 なんだか妙だと体の不具合を医師に問います。「病気です。体の防衛機能が働きません」と医師が言います。でもですね、それって私には逆に見えますのです。人体の状態は、常にこれ以上悪くさせまいとする防衛機能の為せる結果なのです。従って機能が働かないのではなく働き疲れた状態なのです。
 痛いでしょう苦しいでしょうよ。でもですね、我が身を囲むホントに辛い環境の中、これより悪くさせまいと体が病魔に抵抗しているその様が、まさしく今の痛みなんです。痛みは病魔が起こしているのではありません。病魔を勝手にさせまいと必死に働く防衛機能の辛さ酷さが痛みで以って現われるものなのです。
 身体は絶対諦めない。それなのに病魔を態々(わざわざ)呼び込む習慣、思考を改めないのだから病魔軍団どんどん進む。防衛軍は後退ばかり。

 

社会観察 です
 誰々さんが病気で入院したとの知らせが届きました。再発したのだそうです。でもそれは違うだろうよ、と私は思う。再発したのではなく以前の病を治してなかっただけだと残念に思うのです。病に罹った元々の根源に対処していないから完治しないのです。
 病に罹るとはどういったことなのだろうか。原口式思考法でその意味合いを考察してみます。そうすれば完全に治癒する方策も判然としてきましょう。肺ガン患者に例を採ることにします。古来きわめて多い事例ですので。
 
 「肺に異状を来たした原因はハッキリしている、タバコの吸い過ぎだ」との医師の見立てに家族、友人みんなが頷(うなず)く。だから喫煙はだめなのだ、こんなになるまで何故吸っていた、やっぱりお前はダメな人間、意志が弱過ぎる、と終には結局、精神論化する。ですけどね、殆んど皆さん庶民です。弱いものなのです。胸部痛の苦しさや死への恐怖が襲ってきてから、はじめて人はタバコとの決別の力を持つのです。病気になるのでは、との漠然とした不安なんぞでは喫煙の喉(のど)越しの快感に優り得ません。だから止められないのです。人の本性は弱いのですから。
 では、どうするかというと、喫煙を真から楽しんで欲しいのです。一服一服をしっかりと味わってみて欲しいのです。すると、それこそ満喫するのですから次に欲しくなる間隔が長くなってきます。
 喫煙が習慣化するのはダラダラと惰性的に吸う者にみられる現象です。禁断症状も然(しか)りで、タバコ一本を十分に味わおうとする人には出現しにくい現象なのです。
 要は、”煙草さん”にしっかりとゆっくりと更にはじっくりと”丁寧に”接するのです。そうです、タバコを丁寧に扱うのです。喫煙を丁寧に行うのです。そうすれば、満喫の度合いが高くなります。それに連れて喫煙の要求頻度がドンドン落ちてきます。そうして、近い中に無煙の状態が習慣化するという結果を齎(もたら)します。つまり、喫煙の習慣から無喫煙の習慣へと移行していくのです。
 これは真理です。二、三ヶ月後にはずい分と快方に向かっているはずです、真理ですから。

 

 親からの自分に向ける確かな愛を感じる一時があったなら親亡き後も人間性を失わずに生きて行けます。友の確かな友情を感じた一瞬があったなら後は一生会わずとも友情心は消えることがありません。真から心引き合った二人なら一度の逢瀬で十分愛は続きます。
 同様に、煙草からの癒しの思いを純粋に獲得できれば二度とは必要としないものです。
 
今日の一言(否、三言)

 

 *人は弱いのが本性です。精神論を持ち出されては立ち行きならないのです。弱さを前提にして対処法を練るべきなのです。

 

 *風邪を引いたらダルさで以って体自体が体の主に無茶はするなとシグナルを出す。同様に、痛みの強さは防衛機能が戦いのさなか犠牲となって死に行く姿が痛みとなって主に知らせる身の深刻さ。 

 

 *病魔が住み易い体にしているのは他ならぬ自分自身である場合がずい分と多いものです。病気を拒否しているようでいて拒否していないのです。今のやり方を見直してみてください。医師任せ、神頼み、常識次第では病魔のよき餌食です。

 

関連記事

アーカイブ