円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

臆病者、卑怯者といわれても恥じるべきことではりません

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人生訓
 お前は臆病者だ、卑怯者だと後ろ指を差されて学校に行けない、出勤できぬと引きこもってしまう人がいます。それは気の毒です。でも、臆することや怯みは決してマイナスに見られるべき事柄ではありませんのです。人間の持つ防衛機能のなせる技なのですから。
 私は小学生の頃、跳び箱が飛べなかった。それ以降も試してはいないが今でも多分飛べないでしょう。箱の先端の角で尻餅をついて傷めるのではないかと不安だったのです。その頃は意識しなかったが、飛び板を蹴り上げる脚力に自信がなかったから不
安感が生じたのだろうと現在は推定しています。なにせ、運動会での徒競走が苦手でした。ずい分と遅かったのです。だから、先生や同級生が無理やり飛ばそうとしていたなら私は間違いなく怪我していただろうし、或いはまた、不登校になったいたかもしれません。つまり、怯(ひる)みが我が身を守ったのです。
 このように、臆すること、怯むことは我が身を壊さぬよう身体が本能的に起動するポジティブな行為なのです。恥じねばならないことでは決してありません。防衛機構が発動する基準が人それぞれ違うだけのことなのです。跳び箱がもう少し短かったなら私にだって飛べたはずですし、その後も飛ぶ能力は向上していたことだと今、確信しております。

 

社会観察
 私たちは夜の闇を恐れます。見えないと不安になるのです。状況を瞬時に把握できないからなのですね。不安感を生じさせて怯ませ、無闇な行動を起こさせないよう自己の保身を体自身が設定するのです。そんな後に慎重ながらも行動を起こします。周囲への警戒心が芽生えたら不安に思いながらも前進するのです。人間自身は前向きなのですから。不安感の高低に見合った早さで進んで行くのです。
 この時、怯みが強ければ前進できません、保身を図れないだろうという不安が強いのですから。従って怯みは我が身の安泰を確保するためのポジティブな行為なのです。怯んだとて恥ずかしいことではないのです。その怯みが安全の保証を探す前段階ですからね。
 でも、それを世の人々は非難します。臆病者だと言って詰(なじ)り出すのです。怯む心を克服できない哀れな子羊だとて無能呼ばわりするのです。これはいだだけません。人を人として全(まっと)うに接する態度ではありません。安全性を確認させずに進めすすめでは心を病ませる誤った態度です。
 
今日の一言
 人の能力は千差万別。でき始める位置も人それぞれ。でもその位置からスタートするなら誰もがドンドン進化する。

 

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