円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

事実と真実と後悔と

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人生訓
 去る日の私の講演で、『真実』とはどういうものなのか『事実』との兼ね合いはどうかと問う若いお人がおりました。後悔の思いが付き纏(まと)って辛いのだ、とて重たげな表情でした。心を打たれましたものです。私もそうでしたが多くの若い人は自分の思考と行動に、これで良いのか間違っているのではないか真実とかけ離れているのではないか、といつも不安を感じているものです。
 その時は時間的制限で意を尽くせなかったのでこの場で改めて私の考え方を記します。彼が目を留めてくれると良いのですが。
 さて、『事実』は一つです。ですが、『真実』というものは人の顔の数ほどあるものなのです。このこと理解し難いでしょうが、次の例でお察しください。
 今日は会津若松市に来ています。日暮れの山端(やまは)の夕日が奇麗でした。それが物思い勝ちに逍遥(しょうよう)していた私に故郷での子どもの頃を思い起こさせたのです。『夕焼け小焼け』を口ずさみながら久しく思い出すことのなかった幼馴染の身の上に思いが走ったものです。日没は見る人に心静かな物思う一時を与えてくれます。良いものですね。
 さて、太陽が動くことはなく回転しているのは地球です。これは事実です。しかし人々の日常的な感覚では太陽は沈むものですし、また朝になれば東の空に昇るものです。そんな天空の動きにどういった感覚を持つかは人それぞれです。日没の空を奇麗と見たのが私の真実ですし、悲しいものと感じた方がいたなら、それがその方の真実なのです。このとき事実がどうであるかはあまり大事ではありません。事実と真実の違いがこれで判別できましょう。
 刃傷事件もよい例となります。人が刺されたのは事実ですが、そうせざるを得なかった犯人の心の動きは真実です。その真実にどれ程の止むを得ざる事情があったかで罪の軽重が変わるのは事実よりも真実の方が大切にされるからなのです。
 つまり真実とは人間を物事の主体に捉える考え方なのです。それ故に、一つの事実に対して人それぞれの真実があるのです。
 次に、そのロマンチックな夕暮れ時の男女の諍(いさか)いがあったとしましょう。予期せぬ仲違(たが)いで悲しい思いとともに後悔の念で苦しんだ青年はしかし、その状況で発現し得る最大値の能力で行動しているのです。このこと大事なので確り聞いてください繰り返して述べます。既に持っている思考力や行動力のうち、その状況で発現し得る最大値で以って対処しているのです。後になって、ああすれば良かった、こうすれば良かったと悔恨の思いが生じますが、それは”その仲違いを経験した”から表出してくるものなので、口喧嘩の興奮している最中に出て来得るものでは絶対ありません。
 そしてまた、この『悔い』が次の喧嘩になりそうな時に現れる知恵となるのです。『後悔』の思いが新たな能力をつけた証拠なのです。次に気持ちの行き違いが生じた際に、これまでよりもっと能(よ)く対応しうる力が付いたから発生した感情なのです。
 
 〔『後悔』はマイナスなイメージで扱われますが、本当は大変に大事な役目を持ったものなのです。”新たな能力”を身に付けるためのなのですから。それが故に当然のこと、『後知恵』も肝要なものなのです〕
 
 そんな訳で人が採る行動はその時その時の真実ですし、『後悔』もまた”極めて良きものかな”なのです。

 

 *:〔ずい分と分かり難い表現で文も練れてはいませんがしかし、これが現在の私の表現力の最大値だという”真実”なのです。それを承知でブログに載せたのは”事実”です。近々”後悔”の思いが生じたなら新たな伝達力が我が身に備わった訳ですから、そのとき改めて書き記すことにしましょう。(でも、”丁寧に”が身についている私には多分、後悔の思いも小さいものでしょうが)〕

 

社会観察
 一般に「真実は一つ」と受け止められています。事件物のテレビドラマでもそのように言っていますから思い込みに無理ないものを感じます。でもこの場合、犯人の心理や行動をを突きつめて行けば「犯人に関する真実は一つ」と言うことではないでしょうか。そうだとすれば私の主張とそう掛け離れてはいないようです。
 さて、人間は後悔の思いでしばしば苦しむものです。ですけれども、上記したように人間の行動はその場その場で発現し得る最大値のものなのです。もっと思慮深くするんだった、迂闊(うかつ)だったと悔いる思いに苛(さいな)まれますがそれで良いのです。運動選手が練習したこともない技が本番でできる訳がないことと同じです。
 当たり前のことを敢(あ)えて申しますが、人生は誰にとっても初めてのものです。二度目の人生を送っている人など一人もおりません。従って、朝起きて迎える一日一日が常に初めて経験することばかりなのです。つまり人間にとって毎日が試行錯誤のことばかりなのです。結果が満足なものなど殆どないのが本来のことでしょう。ですから常々後悔の情が起きる結果となるのが自然なのです。後悔は経験したから出るのです。経験する前に現れることなどあり得ません。『後悔先立たず』とはその辺の事情を示唆しているものです。だから世間の皆が言うように、これを〔後悔しないようにやりなさい〕と言う意味にはならないのです。
 原口式思考では、『後悔先立たず』は文字通りに〔後悔先立たず〕なのです。経験した後初めて現れるものなのです。経験して知恵が付いた故に生じるものなのです。
 経験しただけでは知恵に結びつきません。後悔の情が発生して初めて知恵となり新たに身につけた能力となるのです。
 人間の記憶力は一般にマイナスなイメージで捉えられている感情ほど記憶に止まり易いものです。悔しい、辛いという感情が生じた場合の方が楽しかった、嬉しかったと思う時よりも強く心に残ります。そうなることで知恵が付き、今より更によりよく生きて行く能力が付くのです。そのようにできているのです。
 
 そんな便利な機能なのです『後悔』は。ですから『悔恨』ともなればもっと強い力となりましょう。

 

今日の戯れ言
 「人生は、食って寝てを繰り返して後に死ぬことであり、これは皆同じ。違いは寝  食の数だけである」、これは事実。
 「人生は、人の顔ほど違いがあって真相無限で割り切る式がない」、これは真実。
 「人生は、後悔重ねて進歩を続けその後深い悟りを得れば悔いの添わない三省の   日々」、これは人の実。

 

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