円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

妥協をしなさい

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人生訓
 人生上、闘う心が必要な状況はそうそうないものです。なのに、世の中は「人生は闘いだ、逃げるな、負けるな、死ぬ気でガンバレ、勝つまで闘え、妥協は恥だ」と、叱咤と罵倒(ばとう)の言葉で溢れています。でもこれだと逆に、辛いばかりで益々逃避の思いが募る一方です。 でもですね、こっちが闘おうとするから相手(人間ではない場合でも)も負けてはならじと抵抗するし、壁を厚くもする。苦しい状況が続くのみです。また、闘い続けて後に勝ったところで心身に疲弊をきたしては得失半ばか帳尻合わず、ということになってしまいます、また本人が勝ったつもりでいても子や孫の代になって疲弊のツケが回ってくる場合も多いのです。
 ”妥協をしなさい”。自分の望みを下げるのです。2割ほど下げるのが丁度良い。否、これは「妥協して安直に生きろ」と言っているのではないのです。何故なら、2割は下げるが向上への望みは持ち続けて勤めるのだから。ただ、嫌気が伴うまでの労苦はするなと言っているのです。その方が向上し続けるものです。人間は上昇志向が本性だから。放っておけば高みを望み続けるものなのです。
 ”妥協するのは良いことなのである。闘い続けるよりも遥かにポジティブなのだ”

 

社会観察
 頑張り続けなければならなかった人間は心神に大きな傷が付く。辛いから心が荒むゆえ。この様な人物は安寧な心を持ち得ぬ故に、関わる周囲の人々の心もササクレ出してくる。かくして諍(いさか)いや怒号が飛び交う日々となる。財貨と地位を持ったもののだ、持ち主自身が荒廃してしまっては何のための辛抱ぞ。先ずは、一日一日の平安だ。心身に安寧(あんねい)がもたらされてこそ向上の思いも持続する。
 ”妥協”が好まれる社会になれば人類の進歩が着実になります。大方の人々が人間本来の向上性を取り戻すからです。
 キリスト教信者の言う「神と和解せよ」なる言葉が私には、「自然と和解(妥協)せよ」と言い換えられるのです。自然主義的生活を旨とする私には、そのように思えてならないのです。
 なお、2割方妥協した者なら、望み行く道をしっかりと味わいつつ歩みを進めること間違いないでしょう。楽になった2割部分が味わい噛みしめる力に転換するからです。

 

ダジャレ
 妥協は畢竟、信教心。真に平安、今日の京。

 

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