1 Mar 2017
⦅“神童が只の人になる理由”がここに!⦆
さて、世の中に流通する問題のすべては、入り口の案内文(つまり、設問)で触発される知識を基に解決のルートを探るものですから、脳細胞の働き具合もその程度で終わりましょう。
ですが、前々回のように〔答え〕から入ると“何が何だか分からない”との迷いが募って一瞬ながらも既存のあらゆる知識を総動員しようとしますから、頭脳の活性度は相当なものになる筈なのですね。
長い間眠っていた知識もが束の間、揺り動かされますから、この効能は極めて高いものなのでした。
直感による「あ、アレかも知れない」との“期待感”や、答えを知った時の「あー、そうだったか」となる“納得、解決感”の大きさで、それが分かりましょう。よって、“頭脳の触手”が伸びだします。
余談ですが、かつて、この欄でお勧めしていた“街にあふれる文字は尻から読むと良いですよ”の言は、正しくこの理屈を以てしての提案なのでした。
そうすれば、文が頭まで達すると「あーそういうことか」との感慨が必ず起きますからね、セオリー通りに読んで全く印象が乏しい文字群に我が身の方から起伏を創り出すようなものですね。
ついでに申しましょう。
読書は理解することが前提ですので、誰もが頭の部分から順を追って読み進みましょう。
ですが、たまには中の一部を飛ばしてご覧なさい、すると抜かして後読みした部分が他の所よりも記憶が濃くなるはずですよ。“頭脳がつじつまを求めてもがく”からですね、そうして、その“もがき”が頭脳には美味しい餌になるのでした。
マウンテンバイクや川下りは荒れ目の方が面白いものですが、それと同じなのですね。
更に、加えて述べておきます。
要領の悪い者は、幼少から手際の良い人よりも中高年になると頭脳が明晰になる場合も多いものです。シッカリ仕上げようと長い間も勤しんだ分ほど頭脳が活性するからですね。
要するに、利き手が使えず、反利き手で作業を行うと脳細胞が大いに活動するのと同じことなのですよ、身体に障碍を持つ人は認知症になり難いのも、これが理屈です。
一方の才が長けた人物は、やること為すことがスムーズに進むからツイツイ惰性的になりがちなのですね、“神童も二十歳すぎれば只の人”とは、この辺の事情を突いている俚諺なのでした。
鋭いナイフよりも錆びたノコギリの方が大きな仕事を残すのも、同じ論理です。
〔兎と亀〕の寓話を、ここでも持ち出せるというわけでした。
以上です。尚、愚生も要領の悪い者の一人です。
暗記力向上研究会
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