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『心の体操;深・香・悠』我慢の代案

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『心の体操;深・香・悠』我慢の代案

 

 それならどうするか、ですね。

 

 私に方策がございます。自分で実践してのことですからお勧めできるものです。

 

 私は殆ど自分の感情を表に出すようなことがありません。幼い頃から感情を露(あら

 

わ)にすることを否定的に捉える性癖がついている所為もありますが、それ以上に随分

 

と気が弱いために自分を主張できずにいる場合も多いものですから理不尽な扱いを受け

 

ることがシバシバあったものでした。感応力の低い人間と捉えられて、いじめの対象に

 

しやすかったのでしょう。

 

 ですが、私に恨みの感情は殆どありません。全くない、というわけでは勿論ありませ

 

んが、でもこのような件に関しては極めて淡白な思いでいられます。

 

 どうしていたか、ということですね。

 

 私は耐えません。いいえ、耐えられなかったのですが、そのために代替策を考え出し

 

たというわけです。始めのころは在家仏教者を気取ってもいたものですから、これこそ

 

が私の修行道具だ、と捉えるようにしていたのですが、内心は忸怩(じくじ)たる思い

 

もあったのです。

 

 ですので、耐える代わりに“味わう”ことを覚えたのです。皆さんが苦痛に思うこと

 

を私は味わっていたということです。不味い食べ物を味わっているのと同じ感覚で過ご

 

していたのでした。

 

 “食べ物ならば100%無栄養というものはない”のと同じで対人関係で滋養になら

 

ないものはない、と考えるようにしたのです。

 

 これは正直に申しておきますが、気の弱さから他人と争うことを避ける方策として導

 

き出した屁理屈ではあります。聖人君子にはほど遠い私が導きだした、自分を壊さない

 

で済む方便としてあみ出した苦肉の策なのです。

 

 ですが、そんな過ごし方をしてきた結果、心に不調を生じることなくこうして飄々と

 

生きて来られたのだろうと思っております。つまり不調をかかえることなく誰を恨むこ

 

ともないということは心的成長があったということになりましょう。

 

 実際、私に辛い状況を提供する人たちというものは、それぞれ各自の心的レベルレベ

 

ルで接してくるのだと観えてくるようになったものでした。起きている現象の筋道が氷

 

解したということです。

 

 例えが悪いのを承知で直截的に表現しますと、動物たちの攻撃に近いものと見据えら

 

れるようになったということです。怯えているのは彼らの方だった、とですね。心に安

 

寧を確保できず揺らぎやすいがゆえでの攻撃なのだと気付いたのでした。で、いつしか

 

 私の心も融解していたのです、彼等に向けて。

 

 要するに、耐えるのではなく「味わう」のですよ。“悪い状況を味わう”感覚でいれ

 

ば心情的な成長が得られます。

 

 これは勿論、状況を変えられなかった場合に限ってのことですが。

 

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