円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

『「記憶の真髄」への考察・その34』

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『「記憶の真髄」への考察・その34』

 

 さて、原口老人のお連れの方。

 

 ここに於いて、産業界などの科学技術畑に身を置いている人々の記憶能力というも

 

のは二番目の場合のものに類似していることはお分かりですね。

 

 ということはつまり、学問や文字文化、精神世界で「印象画」的発想で迫ってみれ

 

ば物質文化の発展に追いつき、追い越すことが可能となってまいりましょう。

 

 「可能だ、希望だ、といわれてもねー。その取り掛かり方が未だに話の中では出て

 

こないじゃないか」と、いま独り言を思わず口走ったようですね。

 

 では、工具箱を開けましょう。始めに使う道具を出しますね。

 

 それは、「意」です。常々「意」を持っていましょうよ、ということです。

 

 「意思、意志」として使われる「意」の事です。綴り通りに「心に音を立てる」と

 

いうことですよ、“ものを思うという心の音を立てる”のです。動くものは音を発し

 

ますからね。

 

 ちなみに、これは「憶」の源字になりますよ。「意」に更に心を加えて「記憶」を

 

強調するようになったのでしょうね。野菜がほとんど栽培物になってしまったので「

 

野ヤサイ」という言葉が生まれたのと同じです。

 

とにかく、「意」を心掛けることも『随所に主たれ』状況に我が身を置く一つの方法

 

なのですね。

 

 心の音を立ててこそ「居切ている」ことになりましょう、何にも思わない日々では

 

、ただ息をして「生きる」のみのものになってしまいます。精気がどちらに沿うかは

 

一目瞭然でしょう。

 

 精気が付き添うから記憶が活き活きとし出すのです。

 

 つまり、《 脳の活性化は思いを立てることから始まる 》ということですね。

 

 これに難しさは一切ありませんよ、極めて安直な行為です。

 

 例えば、夕飯にマグロの刺身が出てきたなら、{三日前にも食べたけど、今日は今

 

日のマグロなのだから、大切に頂こう。ありがたいのだから「タイ」とでも名付けて

 

おこうかな、それに長方形だから「重宝タイ」なんてね}なんぞとでも心ひそかに思

 

ったなら、三日間程度は憶えているものです。

 

 もしも、ここで何も思うことなく、或いは「マグロか」で終わったなら記憶はしな

 

い、ということですね。

 

 え、何ですって?「要するに、それは意欲のことだろう。何故、そう言わないのか

 

」ですって?

 

 あなた、「意欲を出せ」と言われたからとて安直に出るものではないでしょう。や

 

る気や本気なんてものは「出せ」と要求された途端に出なくなってしまうものではあ

 

りませんか、あなた方人間という生き物は、ですね。ましてや、どのようにしたら出

 

るのか分からない上に、指示されることへの反発も加わりますからね、ナカナカ出ま

 

せんのです。

 

 つまりね、《 意を注ぐ力=問い語りかける力=親しみ込んでいく力 》なのですね

 

、「注意力がない」といわれる人というのは、能動性の発揮の仕方を知らない人を指

 

す言葉なのですからね。生きている以上は能動性がない人なんて存在しませんゆえ。

 

 従ってですよ、宜しいですか、ここが大事なところですよ。

 

 「注意力」というものは、自分を活かすこととイコールなのですね。生きている自

 

分の活性化そのものなのですよ。今、生きている人ならば自己の活性化を希求する思

 

いは欠かないはずですものね。

 

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