円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

『痴呆症対策への提案・その7』

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『痴呆症対策への提案・その7』

 

 希望が続けば、能弁になり始めます。言葉を盛んに使いたがるようになるはずなの

 

ですよ。

 

 いいえ多弁や雄弁という意味で言っているのではありません、基本的に寡黙なのは

 

変わりませんでしょうゆえ。ですが、きっと思いつきや閃きが出始めるものですので

 

、意思のこもった言葉がその口から迸(ほとばし)り掛けるようになるのではないか

 

と思うのです。能動性が勝った思考ならば知恵の畑に種を撒くようなものですから、

 

当然そのようになるはずなのですよ。

 

 「博士の愛した数式」では、家政婦の親子に接するようになって以降、博士がしき

 

りにアレコレと論述するようになっていく様子が描かれていましたね。特に子どもに

 

は自ら愛称も付けて盛んに親しみ語り掛けております。

 

 能動性思考の歯車が回転し始めたのですから、当然そのようになるはずなのですね

 

、“希望は能動性思考と連携し合うもの”なのですから、当然にそうなります。

 

 もちろん、博士の場合は交通事故の後遺症によるものですから、一般的な痴呆症と

 

一緒には論じられないものではあります。

 

 ですが、長い間、動かずにいてエンジンが錆びついたクルマだって手押しで一度、

 

回転しかければ後は容易に動くものですが、それと理屈が同じなのです。

 

 要は、既存の知識(動作)が消えていくことへの拘泥は傍らに置いといて、新しい

 

記憶を作り出す生活の開発を試みるということです。

 

 もしも例えば、横歩き(ありえませんでしょうが)や斜め歩きをし出しても、その

 

まま自由にさせてみることです。幼児が靴を左右取り違えても「正規のはき方ではな

 

い」として、大人は直したがりますが、そこはもう、前にも記しましたように“社会

 

的規範そのものが仮定のもの”と割り切り見限って“それも有りなん、これも良しか

 

も”と腹を括っていただけたなら、きっと……。

 

 「博士の愛した数式」の結末はありきたりなものになっていますが、きっと……に

 

なり得たかもしれないはずだ、と私には思えるのです。

 

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