円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

『「記憶の真髄」への考察・その8』

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『「記憶の真髄」への考察・その8』

 

 《市井に嵌(はま)って見事に埋もれ、それで尚且つ唯我独尊》

 

 と、そんな心境を得てみれば、ですよ。何を記憶しましょうか、何を忘れましょう

 

か、何を思い出しましょうか。それ等のことごとくが良い意味で気にならなくなるは

 

ずです、きっよ。

 

 きっと、そうしてその先です。その先が必ずあるのです、あるはずです。あるべき

 

ですからあるのです。記憶の価値に囚われなくなって始めて真に求めるべき生命の存

 

在価値を高める記憶能力が発揮され始めるはずだと私は思いかけているのです、思い

 

始めてもいるのですよ。

 

 これまでに私達が求めていたような記憶力なんてものは、使い古された社会的規範

 

に拘束され切っているものですからね、その多寡や良悪、広狭、深浅など、それ等を

 

定める基準そのものが脆弱(ぜいじゃく)な価値観に基づいているものではあります

 

から、何ともハー物足りません。

 

 生存の質を云々している私達には、そもそも馴染みにくいものでもありましょう、

 

価値基準が違っているのですからね。

 

 でもですね、それならば「生命の存在価値に直結するような記憶能力とは何ぞや」

 

、といきなり高邁な理念を追いかけ始めてもですよ、所詮そこは未だに矮小な我が身

 

ですから、思考の道筋なんぞは皆目、見当がつきませんのです。

 

 ですので、先ずはこれまでに慣れ親しんできた価値基準での記憶の仕方をリセット

 

することから歩み始める、というのは如何でしょうか。

 

 いいえ、勿論、記憶そのものがどうでもよいということでは決してありません。た

 

だ只管(ひたすら)に、趣や風情といったものを大事にするということです。

 

 そうすれば、ですね、例えば次のような生活ができるようになると期待できません

 

でしょうか。多い少ない、良い悪い、狭い広いや浅い深いに囚われなくなれば清澄な

 

毎日を過ごせるような気がするのです。

 

 つまりですね、日々目にし、耳にし、思いし、気にし、考えし事々。そんなもの等

 

の全てが透明感を抱かせてくれるような、そんなような生活が待っていてくれるので

 

はないかと期待するのです。

 

 私は望んでおりますよ、当然そうなるはずだと期待をしています。

 

《こころ静謐(せいひつ)、頭脳は澄明(ちょうみょう)、身そのものは森羅に溶け

 

込み万象の一(いつ)を成す》

 

とは、なってまいりましょう。生きて自然の一部と化すのです。

 

 それでこそ「活きる」と言えるのではないでしょうか、「活き切る」とまで言える

 

のではないかと思うのです。

 

 一日の終わりに「活き切っている」という実感が得られる、そんなような心境をも

 

たらせてくれる記憶能力が発揮されてこそ人生に価値が出てくるのではないかと思っ

 

ているのでした。

 

 何故ならば、この世での人生は来世での準備期間なのかもしれないからです。

 

 オッと、また脱線しそうですので、話を止めましょう。

 

 さて、愚論の開陳も止めます。

 

 以上にて、《記憶の真髄》を「見定め」ました。生命の存在価値に直結する記憶能

 

力があるはずだと見定めたことにいたします。

 

 「見据え」もしましたよ。今後の人生をその考究に充てるのだと見据えもいたしま

 

した。

 

 後は「見極める」だけです。その時まで只管(しかん)に歩みを進めるだけですね

 

。極みの時は必ず訪れるでしょうゆえ。

 

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