20 Feb 2013
『「記憶の真髄」への考察・その3』
さて、皆さん。世迷言はさておきましょうね。
ですが、使われずに在る脳細胞が記憶能力として働きたがっていることはご理解い
ただけたと思います。
つまり、私たちの頭の中には記憶細胞が無尽蔵にあって是非にも働く機会が到来す
る日を待ち望んでいたことは確りと認識してくださったことと考えます。
ですので、次には早速にもそのための「指針と方策」を検討することにいたしまし
ょうよ。先ずは、記憶細胞をどのように活かすかという「指針と方策」を大雑把であ
っても立てておかなければ進み具合がままならないでしょうからね。
さて、これにて私たちは未だに使っていない脳細胞が人生の質の向上に寄与するた
めに存在するものと推し量ることができました。
今日の向上の記憶が明日の発展を導くという進歩のスパイラルとして脳細胞が機能
するだろうことを推定できています。
それならば、{「人生の質」とはなんぞや?}ということになってまいりましょう
。この辺のことを整理しておかなければなりませんね。
私が思いますに、「趣」という言葉がヒントになるのではないかと捉えています。
以前にも述べましたが、人生に味わいを添えるような風情を求める姿勢で生活して
いくなら未稼働の細胞が働き出すのではないかと考えているのです。
「情趣」を醸しだすよう「趣向」を凝らしながら日々を送るようにすれば良いので
はないかと思うのですよ、それでこそ「興趣」になるのではないのでしょうし「感興
」も覚えようというものです。
ついでに言いますが、抹香臭いのも分別臭いのもこの場合は避けなければなりませ
んし、勿論したり顔で人道を説くというようなものもいただけません。
というわけで、万人が受け入れやすい筋道を模索するうちに浮かんできた言葉が「
趣」なのでした。
《心に和みを、口に詩を、耳に小川のせせらぎを、そして頭に趣を!!》
ということです。