円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

小倉百人一首の暗記

☆『小倉百人一首』・その80

☆『小倉百人一首』・その80  73番目です。権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)さんの作です。  ここでの「高砂」は、あの有名な神戸の名所のことではありません。「砂が積もっ た山」という意味のものが転じていうところの「高砂⇒砂山⇒高い山」ですし、「尾 上」は「尾根の上」の意味です。また「外山」は「奥山、深山」に対してある言葉で 「手前の山、里山」を意味しますね。  高砂の  尾上(をのへ)の…

☆『小倉百人一首』・その79

☆『小倉百人一首』・その79  72番目です。裕子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけきい)さんですね。親王 家に仕えた紀伊さんという意味です。これもまた夫が紀伊守だったからそう呼ばれて いました。  ところで、「紀伊」の本来の読みは「き」のみです。ですから「紀伊守」も「きの かみ」なのですね。つまり「紀」のみだったのが「きー」と伸ばして発音されるもの ですから「紀伊」になったのだという旨、わが広辞…

☆『小倉百人一首』・その78

☆『小倉百人一首』・その78  71番目ですね。大納言経信(だいなごんふじわらのつねのぶ)と呼ばれたこれも やっぱり藤原さんです。  「夕されば」は「夕、然れば⇒夕暮れともなれば」ということです。「門田」は 「家の門前の田」ということで、「山田」に対義する言葉ですね。「まろ(丸)屋」 とは、「蘆や茅で屋根を葺いた粗末な家」とわが広辞苑にあります。  夕されば  門田の稲葉  おとづれて  蘆(あし…

☆『小倉百人一首』・その77

☆『小倉百人一首』・その77  70番です。良暹法師(りょうぜんほうし)さんの作品ですね。余談ですが「暹」 とは、日に進むと書くのですから「日の出」の意味です。ついでながら、かつて「暹 羅」と表記した国がありました。「シャム」と読みますが現在の「タイ国」です。 〔御免なさい、無駄口が過ぎました。なにせ漢字にはウルサイものですから〕  良暹さんは修行僧ですから、ここでの「宿」は仮住まいにしている庵の…

☆『小倉百人一首』・その76

☆『小倉百人一首』・その76  69番です。能因法師(のういんほうし)の歌です。法師ですから坊さんです。な のですが、この方、歌は作為が先立っていると言われています。この歌でも、三室山 も竜田川も共に奈良県にありますが、場所は大きく離れていて三室のもみじ葉が竜田 の流れに降り落ちるわけがないのですね。もちろん本人はそういった批判を承知して いての彼独自の歌風を模索したのでしょう。多分は葛飾北斎の画…

☆『小倉百人一首』・その75

☆『小倉百人一首』・その75  68番目です。三条院(さんじょういん)の歌ですね。稀代の権力者だった藤原道 長の圧迫で退位せざるを得ない情況にあった際に詠ったものだそうです。しかもお目 を患っていて心を寄せていた夜半の月も見られなくなるのですから辛さが増します。  これは技巧を持ちいず率直に心情を切々と吐露しているのですから、どうにも心引 かれる歌ではありますね。私も酒を飲みながら見る夜更けの月が…

☆『小倉百人一首』・その74

☆『小倉百人一首』・その74  67番目です。周防内侍(すおうのないし)さんのものですね。これも夫が周防 守だったからの呼称です。  とある春の一夜、語り更けった際に疲れて枕が欲しいと漏らした一言にある男性が この手を枕にしてくださいな、と添い寝を暗示させたのだそうです。周囲には他にも 何人か居たそうですから、本人はもちろん冗談のつもりなのです。ですが女性は人の 目と口を気にするのが先立ちますから…

☆『小倉百人一首』・その73

☆『小倉百人一首』・その73  66番です。大僧正行尊(だいそうじょうぎょうそん)さんです。このお方、皇族 の流れの出でありながら出家し、諸国をめぐって山野で修行したそうです。この歌 は、その際の一人孤独な身を山奥でひっそりと咲く桜の木にかぶらせて詠んでいるの でした。厳しい鍛錬の後に身延山延暦寺のトップである大僧正になったのだそうで す。  もろともに  あはれと思へ  山桜  花よりほかに  …

☆『小倉百人一首』・その72

相模 相模湖☆『小倉百人一首』・その72  65番目です。相模(さがみ)さんの作ですね。夫が相模守だったために相模さん とよばれたのでした。  「恨みわび」は「恨み思い煩って」で、「ほさぬ袖」は「(涙で濡れて)乾かぬ 袖」という意味ですね。  恨みわび  ほさぬ袖だに  あるものを  恋に朽ちなむ  名こそ惜しけれ  解説です。  「あなたの余りなつれなさにさ、涙をぬぐった袖が乾く暇さえないのにさ…

☆『小倉百人一首』・その71

☆『小倉百人一首』・その71  64番目です。権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)と呼ばれた藤原定頼さ んの作品です。  「網代」とは、夏場によく見かける鮎などの川魚を生け捕りにする竹製の簀(す) であり、「網代木」はそれを支える棒杭です。川に霧が出るのは冬ですから、この頃 には簀はなく杭だけがあったのです。「瀬々に」ですから、幾つもあったのでしょう ね。  朝ぼらけ  宇治の川霧  たえだえ…

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