円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

小倉百人一首の暗記

☆『小倉百人一首』・その70

☆『小倉百人一首』・その70  63番です。左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)、つまり藤原道雅さんの 作です。  恋人の親御さんに逢うのを阻まれた若いお公家さんの悲恋の歌ですね。耐え忍びつ つも逢いたい思いの募る気持ちを率直に投げかけているのでした。  今はただ  思ひ絶えなむ  とばかりを  ひとづてならで  いふよしもがな  解説です。  「今はただひたすら、あなたへの強い思いを断とうと…

☆『小倉百人一首』・その69

☆『小倉百人一首』・その69  さー62番目は、清少納言(せいしょうなごん)さんの作品です。  「夜をこめて」とは「夜の深まり込む頃」の意味です。「はかるとも」は「図ると も」であり、中国の「史記」に載っている有名な故事の函谷関に於ける「未明の鳥の 鳴き真似」を指して言っていますね。清少納言は漢籍の教養も高かったのです。従っ てここは、「函谷関の故事の鳥の鳴き声でだまそうとしても」となります。「逢…

☆『小倉百人一首』・その68

☆『小倉百人一首』・その68  61番目です。伊勢大輔(いせのだいふ)さんという今回も女の人の歌です。宮中 に奈良からたわわに花をつけた八重桜の枝が届けられたときに歌ったものです。  「いにしえ」に「けふ(今日)」を、「八重」に「九重」を対比させた技巧が見ら れます。  「九重」はまた「宮中」をも意味します。昔の中国では王城の門を九重に造る制度 があったと私の愛読書「広辞苑」に書いてあります。です…

☆『小倉百人一首』・その67

☆『小倉百人一首』・その67  60番です。作者の小式部内侍(こしきぶないし)さんは和泉式部の娘さんでし た。  「いく野」は「行く」と「生野」をかけていますし、「ふみ」は「踏み」と「文」 を掛けています。そうして皆さんご存知の「天の橋立」は母和泉式部の居る「丹後」 にあって、しかも「大江山」はそこへの道筋です。  で、この歌は、「小式部さんよ、あなたはお母さんほど歌は上手ではないでしょう から、…

☆『小倉百人一首』・その66

☆『小倉百人一首』・その66  59番目ですね。今度は赤染衛門(あかぞめえもん)さんの作品です。  来るといっていながら来なかった恋人のため恨みの一夜を過ごしてしまった妹に代 わり、相手の男に宛てて送った歌だそうです。  「やすらはで」は「ためらわずに」ということです。「やすらう」には一般に使う ところの「休む、休息する」の他に、「ためらう。ぐずぐずする」という意味を持っ ています。で、この場合は…

☆『小倉百人一首』・その65

☆『小倉百人一首』・その65  58番です。作者は大弐三位(だいにのさんみ)さんのものです。今回も女性です が、女性作のものがしばらく続きます。大弐三位とは、夫が大宰府の長官である三位 太宰大弐の位にあったことからの呼称です。  これは、昔の恋人に僕を忘れてしまってはいないかい、と問われての返歌だそうで す。「有馬山」と「猪名の笹原」は共に兵庫県にあって、ペアで歌枕にされたのでし た。そよそよと吹…

☆『小倉百人一首』・その64

☆『小倉百人一首』・その64  57番目です。さー今度は紫式部さんですよ。  久しぶりに会いに来てくれた友人に送った歌です。幼馴染との歓談に話が弾んで、 ほんとは結構な時間を過ごしたことは分かっているが、そうであっても、もっともっ と話をしていたかったのですね。乙女心が活発だったのでしょう。  めぐり逢いて  見しやそれとも  わかぬ間に  雲隠れにし  夜半の月かな  解説です。  「ほんとに久…

☆『小倉百人一首』・その63

☆『小倉百人一首』・その63  56番目です。和泉式部さんの登場ですよ。和泉式部とは夫が和泉守だったためた めの呼称です。  この歌は、式部さんがが病の床に臥せっていたときに詠んだものだそうですが、虚 飾が一切ない誠実な直言ですね。私好みのものです。  あらざらむ  この世のほかの  思ひ出に  いまひとたびの  逢うこともがな  解説です。  「私の病は重いようです。もしもあの世に旅立つのならせ…

☆『小倉百人一首』・その62

☆『小倉百人一首』・その62  55番ですね。大納言公任(だいなごんきんとう)と呼ばれた藤原公任さんの作で す。  公任さんが有名な京都・嵯峨野の大覚寺に遊山に行った際に詠んだ歌です。ここに はかつては嵯峨天皇の離宮があって見栄えのする姿で有名な滝が流れていたそうです が、公任さんの時代には水枯れしていたのですね。  滝の音は  絶えて久しく  なりぬれど  名こそ流れて  なほ聞こえけれ  解説…

☆『小倉百人一首』・その61

☆『小倉百人一首』・その61 54番です。作者は儀同三司母(ぎどうさんしのはは)とされていますが、このお人 の息子さんが准大臣になった際、太政・左・右大臣の三司に劣るものではないという 意味で儀同三司と称したからだそうです。この息子さんは伊周(これちか)さんとい って、叔父さんだったあの権勢際立つ道長さんにいじめられて流刑にされるなど随分 と辛い時期があったのでした。彼の死後に復権なったのですが、…

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