円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

記憶のコツ

☆『小倉百人一首』・その84

☆『小倉百人一首』・その84  77番目は、前回の「保元の乱」の敗者側となった崇徳上皇(すとくじょうこう) の歌です。権力闘争に始終したような院の人生にも、こんな恋歌が作られるような時 期もあったのでした。  「岩にせかるる」は「岩で堰き止められる」という意味です。  瀬を早み  岩にせかるる  滝川の  われても末に  逢はむとぞ思ふ  解説です。  「川瀬は早く、岩が堰となって二つに分かれる流…

☆『小倉百人一首』・その83

☆『小倉百人一首』・その83  76番です。法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱく だいじょうだいじん)と呼ばれた藤原忠通さんの作ですね。この方、私には1156 年に起った「保元の乱(ほうげんのらん)」の勝者としての記憶が強いです。これが 因となって三年後の「平治の乱」が生じ、更にはいわゆる「平家物語」の源平争乱へ と続くのでした。  さて、この歌は「海上遠望」という題で詠…

☆『小倉百人一首』・その82

☆『小倉百人一首』・その82  75番目です。藤原基俊(ふじわらのもととし)さんのものです。  「させも」は「さしも草、ヨモギ草」のことです。知人が秋までに何とかするよ と、さしも草に引っ掛けて約束していたことを果たしてくれないと恨み詰(なじ)っ ているのです。  契りおきし  させもが露を  命にて  あはれ今年の  秋もいぬめり  解説です。  「あんたがさ、させも草をもじって約束してくれまし…

☆『小倉百人一首』・その81

☆『小倉百人一首』・その81  74番です。作者は源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)さんですね。  「憂かりける」とは「自分に憂く思いをさせている人」ということで、つれない態 度の女性を指しているのです。また、「初瀬」とは奈良県桜井市の「初瀬にある長谷 寺」のことですね。周りが山々に囲まれている盆地なので「山おろし」が厳しいのだ そうです。  憂(う)かりける  人を初瀬の  山おろしよ  は…

☆『小倉百人一首』・その80

☆『小倉百人一首』・その80  73番目です。権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)さんの作です。  ここでの「高砂」は、あの有名な神戸の名所のことではありません。「砂が積もっ た山」という意味のものが転じていうところの「高砂⇒砂山⇒高い山」ですし、「尾 上」は「尾根の上」の意味です。また「外山」は「奥山、深山」に対してある言葉で 「手前の山、里山」を意味しますね。  高砂の  尾上(をのへ)の…

☆『小倉百人一首』・その79

☆『小倉百人一首』・その79  72番目です。裕子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけきい)さんですね。親王 家に仕えた紀伊さんという意味です。これもまた夫が紀伊守だったからそう呼ばれて いました。  ところで、「紀伊」の本来の読みは「き」のみです。ですから「紀伊守」も「きの かみ」なのですね。つまり「紀」のみだったのが「きー」と伸ばして発音されるもの ですから「紀伊」になったのだという旨、わが広辞…

☆『小倉百人一首』・その78

☆『小倉百人一首』・その78  71番目ですね。大納言経信(だいなごんふじわらのつねのぶ)と呼ばれたこれも やっぱり藤原さんです。  「夕されば」は「夕、然れば⇒夕暮れともなれば」ということです。「門田」は 「家の門前の田」ということで、「山田」に対義する言葉ですね。「まろ(丸)屋」 とは、「蘆や茅で屋根を葺いた粗末な家」とわが広辞苑にあります。  夕されば  門田の稲葉  おとづれて  蘆(あし…

☆『小倉百人一首』・その77

☆『小倉百人一首』・その77  70番です。良暹法師(りょうぜんほうし)さんの作品ですね。余談ですが「暹」 とは、日に進むと書くのですから「日の出」の意味です。ついでながら、かつて「暹 羅」と表記した国がありました。「シャム」と読みますが現在の「タイ国」です。 〔御免なさい、無駄口が過ぎました。なにせ漢字にはウルサイものですから〕  良暹さんは修行僧ですから、ここでの「宿」は仮住まいにしている庵の…

☆『小倉百人一首』・その76

☆『小倉百人一首』・その76  69番です。能因法師(のういんほうし)の歌です。法師ですから坊さんです。な のですが、この方、歌は作為が先立っていると言われています。この歌でも、三室山 も竜田川も共に奈良県にありますが、場所は大きく離れていて三室のもみじ葉が竜田 の流れに降り落ちるわけがないのですね。もちろん本人はそういった批判を承知して いての彼独自の歌風を模索したのでしょう。多分は葛飾北斎の画…

☆『小倉百人一首』・その75

☆『小倉百人一首』・その75  68番目です。三条院(さんじょういん)の歌ですね。稀代の権力者だった藤原道 長の圧迫で退位せざるを得ない情況にあった際に詠ったものだそうです。しかもお目 を患っていて心を寄せていた夜半の月も見られなくなるのですから辛さが増します。  これは技巧を持ちいず率直に心情を切々と吐露しているのですから、どうにも心引 かれる歌ではありますね。私も酒を飲みながら見る夜更けの月が…

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