2010年 02月
28 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その73』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その73』 つまり、仏教は「静和」止観を持っているのですね。 仏教者は、我が心には「静」を求め、その周囲には「和」を望む思考習慣でもって 求道しているのです。そうして、それが成った暁には「生の喜び」が自他ともに得ら れるようにと我等の「心経」は導くのでした。 さー、ではまた皆で唱えましょう、 ”南無仏道”、”南無心経” …
27 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その72』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その72』 さて、読者の皆さんは、私たちのこの「心経」に代表される仏教が、いわゆる「宗 教戦争」とは無縁であることを知っておられましたでしょうか。 勿論、私の知らない歴史上の事柄としては挙げられない小さなものはあったのかも しれません。がしかし、少なくともキリスト教やイスラム教などでみられる数多の宗 教紛争は仏教界ではありませんのです。これは同じ普遍的世界宗教…
26 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その71』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その71』 その「空」への思考を突き詰めていくと、生きてこの世に在ることの大事さのみが 直感できるのですね。 例えば、卑小な例ではありますが、小さいながらも我が持ち家の存在は、これがな かった場合の不都合に思いを馳せてみれば随分とあり難いものに思えてくるもので す。 このことは同じように、妻や子という家族の存在にも当然言えることなのですね。 更には、友人や隣…
25 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その70』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その70』 更にまた、『その64』の冒頭で、「畢竟(ひっきょう)」という言葉を使ってい ます。 この、「結局のところ、つまりは」などと言う意味の接頭語は通常ほとんど見かけ ないものですがしかし、だからと言って難しい言葉の範疇であるとは言えませんので す。 このこと例えば、一般の人々には「深山幽谷」であっても、行き慣れた者には何と 言うことのない親しみ馴染んだ…
24 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その69』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その69』 私はまた、『その45』で、 〔もっとも、「般若心経」はその「無」さえ”「無」として捉えろよ”と言ってい るのでしたね。この「無も無」なのだという考え方についても、いずれ皆さんに理解 していただける論述を試みてみます〕、と述べました。 これは、具体的には「心経」の中ほどに「無無明 亦無無明尽」とあるのを指して 言っていますのです。ここでの意味は「知…
24 Feb 2010
23 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その68』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その68』 さて、当シリーズの『その40』において、”人生論は哲学の分野ではない”旨の 発言をしておきました。 これについての持論を開陳させていただきます。 「人生、如何に生くべきか」という万人共通のものを哲学者や思想家たちだけが論 じ合うような厳密なものだけに棚上げしてしまってはいけないように私は思っている のです。 もっと庶民化させたもの、例えば一言二…
21 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その67』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その67』 さー、ここまでに来てようやっと「般若心経」シリーズの終わりとなります。 長々ダラ々とした駄弁に辟易(へきえき)しながらもお付合い下さった読者の皆 様、前回にて「般若心経」の原口流解説は終わりましたのです。ご安心いただいて暫 しのお寛ぎを願いますところです。 しかしながら、なにやら名残惜しいので、もうチョッと追記し薀蓄(うんちく)を 傾けます故、気…
20 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その66』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その66』 そうです、そうです、そうなのですよ。”我が身の邪気を抜き去り無心になって、 世の物事に素直に向き合い対処する”、そんなような人生が”般若心経の心意気”な のですね。 それを、自分の能力の範囲内で行えばよいのです。自分の出来る範囲内でコツコツ と力量を積み重ねていくならば、それこそ密度の濃厚な人生を送ることが出来るので す。 日々に生じる事々を虚心…
18 Feb 2010
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その65』
☆『「般若心経」を暗記しましょう・その65』 さー、論考がここまで進みきて、ようやっと結論が明確に私たちの前に姿を現しま した。 つまるところ、「般若心経」の真髄は「無心」なのです。「空」は「無心」にある のでした。”心を無にして自分を生きなさい”ということなのですね。 毎日毎日、我が身に起こる事毎に「無心」に対処していきなさい、ということなの でした。 一日一日を、”「無心」の思いで以っ…