円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

2010年 07月

☆『小倉百人一首』・その64

☆『小倉百人一首』・その64  57番目です。さー今度は紫式部さんですよ。  久しぶりに会いに来てくれた友人に送った歌です。幼馴染との歓談に話が弾んで、 ほんとは結構な時間を過ごしたことは分かっているが、そうであっても、もっともっ と話をしていたかったのですね。乙女心が活発だったのでしょう。  めぐり逢いて  見しやそれとも  わかぬ間に  雲隠れにし  夜半の月かな  解説です。  「ほんとに久…

☆『小倉百人一首』・その63

☆『小倉百人一首』・その63  56番目です。和泉式部さんの登場ですよ。和泉式部とは夫が和泉守だったためた めの呼称です。  この歌は、式部さんがが病の床に臥せっていたときに詠んだものだそうですが、虚 飾が一切ない誠実な直言ですね。私好みのものです。  あらざらむ  この世のほかの  思ひ出に  いまひとたびの  逢うこともがな  解説です。  「私の病は重いようです。もしもあの世に旅立つのならせ…

☆『小倉百人一首』・その62

☆『小倉百人一首』・その62  55番ですね。大納言公任(だいなごんきんとう)と呼ばれた藤原公任さんの作で す。  公任さんが有名な京都・嵯峨野の大覚寺に遊山に行った際に詠んだ歌です。ここに はかつては嵯峨天皇の離宮があって見栄えのする姿で有名な滝が流れていたそうです が、公任さんの時代には水枯れしていたのですね。  滝の音は  絶えて久しく  なりぬれど  名こそ流れて  なほ聞こえけれ  解説…

☆『小倉百人一首』・その61

☆『小倉百人一首』・その61 54番です。作者は儀同三司母(ぎどうさんしのはは)とされていますが、このお人 の息子さんが准大臣になった際、太政・左・右大臣の三司に劣るものではないという 意味で儀同三司と称したからだそうです。この息子さんは伊周(これちか)さんとい って、叔父さんだったあの権勢際立つ道長さんにいじめられて流刑にされるなど随分 と辛い時期があったのでした。彼の死後に復権なったのですが、…

☆『小倉百人一首』・その60

☆『小倉百人一首』・その60  53番目です。作者は右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)となっていま す。有名な「蜻蛉日記」の作者ですね。  これは、毎夜きちっと通ってこないで、しばしば他所の女性のもとで過ごしている つれない夫にあてつけに歌ったものです。当時は通い婚でしたね。  嘆きつつ  ひとり寝(ぬ)る夜の  明くる間は  いかに久しき  ものとかは知る  解説です。  「やるせなく一…

☆『小倉百人一首』・その59

☆『小倉百人一首』・その59  52番目です。藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)さんの作です。前回の ような凝らした技巧はありませんが、それだけに衒(てら)いもない爽やかな歌です ね。このお人も夭逝しています。23歳だったそうですよ。  明けぬれば  暮るるものとは  知りながら  なほ恨めしき  朝ぼらけかな  解説です。  「夜が明ければやがてまた、あなたと逢える夜が来るとは勿論分かって…

『近況報告』

『近況報告』  今日は、千葉県が誇る国際会議場の「かずさアカデミアホール」での講演でした。  木更津市にありますこのイベントホールは、私が二度の暗誦記録の更新を手伝って くださったところですので、恩返しの意味も込めてしっかりと「歳をとっても記憶能 力は衰えない」という私の持論を開陳してまいりました。  現地に着いて意外に思ったのは、かつて少子化対策大臣を勤められた参議員の猪口 邦子さんがおられたま…

☆『小倉百人一首』・その58

☆『小倉百人一首』・その58  51番目です。藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)さんの作品です。  「かくとだに」は、「これほどにさえ」と言う意味合いです。「えやはいぶきの」 は、「言えば伊吹の」で「言ふ」と「伊吹」を掛けていますね。更に「さしも草」は 「モギサ」のことで、「さしも知らじな」は「それほどまでとは知らないでしょう よ」と二度の「さしも」に技巧を凝らしているのです。栃木県内の伊吹…

☆『小倉百人一首』・その57

☆『小倉百人一首』・その57  50番目です。藤原義孝(ふじわらのよしたか)さんの作です。  「長くもがな」は「長くあってほしい」と言う意味です。彼は21歳という若さで 夭逝(ようせい)した青年貴族だったそうですから、この言葉が哀れを誘います。  これは初めて契りを交わした後の歌です。手練手管もない一途な恋心をつづった生 真面目なもの、純そのものなのですね。  君がため  惜しからざりし  命さへ…

☆『近況報告』

☆『近況報告』  今日は、宮城県の宮城広瀬高校というところで講演をしてまいりました。  聴衆は300人です。皆さん、真剣に聞いてくださって嬉しい気分で終われまし た。ありがたいことです。  この高校は、奇遇なことなのですが、今は亡き大事な友人が気鋭の数学教師として 赴任していた中学校が同じ町にありましたから、講演後にちょっと中学校に立ち寄っ てみました。かつて私も帰郷の際に妻を伴い彼を訪ねて立ち寄…

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