円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

2010年 11月

14、趣味に没頭している際に現われる「個性」

14、趣味に没頭している際に現われる「個性」  このことを例えてみれば、「自室」でくつろいで自分の趣味に没頭している時と極 めて似ています。他人の目を意識することなく我が心身をただ一事に埋没させている 時というものは、その趣味の面白みを自ら深めようとするものです。趣味とする物事 が秘めている可能性をどこまでも突き詰めようとするものなのですね。  この時、その「個室」に存在するのは「個人」とその趣味…

13、人間の”個の部分”に共通する「個性」

13、人間の”個の部分”に共通する「個性」  さて、それで思索されるのが「個性」の意味合いです。  論がここに至って、私の言っている「個性」の概念が一般の皆さんのそれとは違っ ていることにお気づきになられたのではないだろうかとお察しします。  そうです、私の論理は人間の誰しもが保有している「個性」というものの本質的な もの、普遍的なものに関しての事柄なのです。  要するに、私の主張の論点は、私たち…

12、「個性」の持つ本質な概念

12、「個性」の持つ本質な概念  その点、「にわか農民」たちは違います。向き合う相手は農作物であり、それに関 連する種であったり土であったりです。そこに他人は関わってこないのです。心理的 疲弊をもたらすような他人とのせめぎあいはありませんのですよ。  となると、後は「にわか農民」となりうる私たち一人ひとりの心です。私たちの心 は楽しい思考をします。農作物など相対するものとの奮闘です。日々の成長作を…

11、競争社会の限界

11、競争社会の限界  さて、農産物のほとんどは作りだす工程が同じですので「にわか農民」たちの思考 の過程も同様の軌跡を経ます。従って、こちらの場合も競争社会にいるスポーツ選手 と同じということになります。  それなら、「にわか農民たち」の性格もそれと同じに金太郎飴のようになるはずな のではないかと読者の皆さんは思うでしょう。でもですね、そうはならないのです よ。その心理的葛藤の意味合いとなると大…

10、「個性」に根ざす精進の継続性

10、「個性」に根ざす精進の継続性  そこには苦しみがないからなのですね。何が悪いのだ、どうすれば良いものが出来 るのだとて思考し、錯誤し、呻吟(しんぎん)していても苦しくはないのです。他人 の誰かとの競争ではないのですからね、呻き唸っていたとしてもより良いものを生み 出しうる可能性を楽しむ感覚の方が先立つのですのですから苦しみの伴う呻吟ではな いのです。  何故かと申しますと、これは私たち一人ひ…

9、個人の持つ精進性

9、個人の持つ精進性  でも、そろそろ気付いても良いのではないでしょうか。「個性」というものの無限 性に目を向けても良い頃です。世界は安定してきているのですからね、これまでの人 類や民族規模での慣習から解き放たれてみるべきです。  ではどうしたらよいかですが、私に腹案がございます。皆さんに、個性の持つ可能 性に関する新しい概念を提案したいのです。以下にそれがどんなことかを卑近な例を お挙げて縷々(…

8、競争社会が持つ個性の否定性

8、競争社会が持つ個性の否定性  工夫のしようがない競争社会に身を置いている人々というものは、その皆が一様に ひたすらな勝利を目指しての日々を過ごしているのですから、必然的にその日常生活 も一様になりましょう。目指す未来とその道筋が同じなのですからね、その道中での 思考も一様になるのは当然のことです。同じ心情、同じ精神構造になってしまうので すね。ですから、こういった意味からも前記の金太郎飴の例え…

7、競争社会の原理

7、競争社会の原理  そんな背景が社会にあっても、人々は何とか自己主張をします。自分の存在を世間 に認知してほしいのですからね。何らかの方法で自己アピールをするものです。社会 が認める形式でですね。  それが何かというと、つまりはスポーツの世界や学問研究界での我が名の顕現化を 求めることなのです。それらの既存世界での顕著な存在となることを目指すのです ね。  既存の世界は技術の革新が難しいです。既…

6、没個性化は社会的性向

6、没個性化は社会的性向  これからも何ら変わることなく、そのような観念からの教育しかなされませんでし ょう。  皆がおんなじ「解答」を出す教育方法ですと、個性的に様々な思考をした結果の 「答案」ではないのですから、当然に頭の構造、心の中身が金太郎飴のような個性の 乏しい人間たちになってしまいますのです。誰もが同一の「回答」を出す機械然とし たマガイものの人間になってしまっているのですね。  こん…

5、学校教育における没個性化

5、学校教育における没個性化  私の小学生時代から始まって高校生に至るまでの幾度となく行われるテストの問題 設定のほとんどが、既に決定されている答えに合致するものを可とするようなものば かりでしたのです(さすがに新しいスタイルを模索した放送大学では傾向がやや変わ って来てはいましたが)。  これを分かりやすく申しますと、設問が「5+5=?」となっているということで す。テストをする側によって既に決…