円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

2010年 12月

39、自転車に乗れるようになろうとした努力は純粋でした

39、自転車に乗れるようになろうとした努力は純粋でした  もちろん皆さんの誰もが自転車に乗れるようになるまで繰り返し繰り返し練習した はずですね。チョッと思い返してみて欲しいのです。その時って随分とひた向きな姿 勢だったのだはないでしょうか。乗りこなすことに向かって真っ直ぐで余念がなかっ たはずです。  その時には乗れないのではないか、なんてマイナスな思考はなかったはずですし、 練習している姿がカ…

38、自転車乗りの練習が「個の部分に凝る」ことのよい例です

38、自転車乗りの練習が「個の部分に凝る」ことのよい例です  さて、では、その”自分の使い方、使い道、能力の用い方”とは如何なることかを 具体的に述べて欲しい、それが明示されなければ分からないではないかよ原口よ、と 読者の皆さんの誰もが問いかけておられましょう。  では、お答えします。  皆さん、「自転車乗り」の練習をしましたね。私も人がスイスイ乗り進むのを見 て、幼児の頃からあこがれたものです。…

37、「個の部分」の可能性は無限なのです

37、「個の部分」の可能性は無限なのです  でも、そうは述べましたがしかし、その使い方、使い道にこそ無限の可能性が潜ん でいるように私は思えてならないのです。「伊能忠敬さん」の商人としての業績や測 量技師としての功績がその道筋を辿ることで得られたものであることは間違いのない ことなのですからね。そしてまた、世の偉大な人々の残していった過去の数々の芸術 や科学方面での遺産だって、かの「にわか農民」の…

36、「個性」とは自分自身の能力に凝ることです

36、「個性」とは自分自身の能力に凝ることです  さて、論がここまで進んできて私はようやっと「個性」とは何か、「個の部分」の 本質とは何かということを明確に述べ始めることができるようになりました。何せ、 一般的な意味合いで使われている「個性」というものをもう少し哲学的に論及する必 要が私にはあるものですから。  さて、つまり「個性」とは、”自分の能力の使い方”なのです。  人間の持っている能力とい…

35、「山があるから登る」という言葉の意味

35、「山があるから登る」という言葉の意味  山好きの人は「そこに山があるから登るのだ」そうです。山があるから登りたくな る、ということなのですね。でもその言葉の本質は、自分の持っている”能力を使い たいという欲望”から出ているのです。 〔そんな心理には、持っている身体の力を使って”高み(高いレベル)を望める”と いう向上欲もあるのですが〕  「ただ、山があるから登るのだ」ということはつまり、ただ…

34、能力の発揮には喜びが伴います

34、能力の発揮には喜びが伴います   さて、この際の山男たちは「山好き」という範疇で把握されます。  でもですね、その本当のところは”持った能力を行使する喜び”なのです。「…好 き」の本質は、自分の能力を使うところにあるのですよ。  文芸に親しんだりスポーツをしたくなるのも、その能力を使うことに喜びがあるか らなのですね、「使うこと」そのものに快感が伴うよう私たちの心身が出来ているか らなのでし…

33、そこに山があるから、

33、そこに山があるから、  でも、それなら「日本のためだ、異国から日本を守るために頑張らなければならな いのだ」という強い愛国心から奮励刻苦の働きをしたのかと言うと、そうではないの だろうというのが私の主張のポイントなのです。「日本のためだ、自分がやらねば誰 がやる」などと強い決意で回り歩いたのだろうというのが一般的な捉え方のようです が、私はそうではないのではないかと推察しているのですね。  …

32、大業を成す人は、

32、大業を成す人は、  そのような人生を持った「伊能忠敬さん」を例として見てみれば、私の言う人間の 「個性」または「個の部分」と、そうでないものとの違いが良く分かるのではないで しょうか。  商家の主としての彼は「社会性」での「忠敬さん」です。もちろん彼による業績の 拡大は「個の部分」が持つ家業への一途さが多くの功をもたらしたことは間違いあり ません。ですから、現役時代の彼は商い相手や家族、地域…

31、「生」への積極性は「個性」の強化につながります

31、「生」への積極性は「個性」の強化につながります  人生に積極的なお人は「個性」を大事に捉えます。自分の「個性」を見つめてその 可能性を探り、向上させつつ活かす方策を考えるようになるものです。  その良い例として、「伊能忠敬さん」をまたここでも登場させてもらいます。  この「忠敬さん」、婿入り先の家業を大いに興隆させての隠居後、50歳で天文観 測法や測量術を学び始めたのでした。  さて、あえて…

30、自由であるがゆえの責任

30、自由であるがゆえの責任  天から、私たち自分自身の「個性」の仕置きや運用を我が意の自由に任せられてい ると分かってみると、それなら”如何なる「個性」を持ったならよいだろうか”と積 極的な姿勢が生じてまいります。安直に過ごしては勿体無いという前向きな思いが強 くなるからでもありますが、それより何より”自由にさせられているということには 責任が伴う”からですね。任せてくれている天に対して責任の重…