円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

2011年 12月

○5、そんな恐れは記憶を明敏にします

○5、そんな恐れは記憶を明敏にします  恐れ怯みながらも、身に起きた事、周囲の出来事をよく記憶します。 怯える思いが背景にあるので、情感が強く刺激されるのですね。そうなるように出来て いるのです。 6、恐れるもの以外であっても記憶は鮮明です  怯むような物事でなくても、彼らの記憶はしっかりしています。 身体が生きていくための生活力を身につけようとして精力的に色々様々と鋭敏に反応し ては記憶するので…

○2、子供の物怖じ

○2、子供の物怖じ  子供は物怖じをします。  引っ込み思案をするのですね。  慣れない事柄には腰が引けてならないのですから、それは見事なほど慎重です。  失敗を恐れ、成功の可能性を疑うのです。  心身が傷つくのを恐れるゆえにですね。 3、青少年期にはシャイなのです  少年少女は控えめです。  失敗や嘲笑の対象になることが案じられてならないのです。 4、思春期には自意識の扱いに苦慮します  対社会…

第四章 受動性的記憶について

第四章 受動性的記憶について  この章では、先ほど“受動的記憶力”に於いて“神仏の介在”に言及している点につ き、皆さんが肯定しにくいでしょうから、更に詳しく述べさせていただきます。 1、幼児の恐怖心  幼い子供は、押し並べて臆病です。  その怖がりぶりは一日のうち何度も見せてくれます。音に怖じ、人に怖じ、トイレに 怖じては暗がりに怖じ、果ては夜分に見る夢にまで怯えて泣くのです。  これらの全ては…

○この”自動的記憶力”は例えば、

○この”自動的記憶力”は例えば、日常的にただ流れ去る出来事や物事の中から、通 常とは違う異質な要素を捉えて「あれ、何か違うぞ」と、判断する機能を持っていま す。  そしてまた、その日常性の中に“能動的な記憶力”で対処すべき事柄があった場合 、それに対応する「尺度」が記憶されていないと、そのもの自体を認識し得ないこと になってきます。  要は、その基準ができていないと無意識に行われる自動的な記憶はで…

第三章 自動的記憶力

第三章 自動記憶力  さて、従って、私たち大人の人々たちは、その二つの記憶能力を土台にして生き、事 を処しながら日々を送っているということになりますね。  そうです、その二つを土台とする二次発生的な記憶力で、です。  その二つの記憶能力で得た知識を基準とする二次的に発生した無意識な“自動記憶力 ”で日常に発生する物事の善悪、大小、高低、深浅、新古、親疎、遠近、伸縮、拡大縮 小など等を瞬時に判断して…

○実は、児童の頃からそれは培われています。

○実は、児童の頃からそれは培われています。  人間は社会的存在ですから、人間集団に馴染ませるための知識の養成が図られなけ ればなりませんのですからね。  それは親たちである社会が携わって行われます。学校教育がそうですね。  そして、この場で造成され発揮されるのが“能動的記憶”です。  人間たちが自らの手でその“能動的記憶力”の培養が為されて いるのです。  これは、世界全体で行われてきています。 …

○このことは、テレビ番組などで見聞きする動物たちの生態と

○このことは、テレビ番組などで見聞きする動物たちの生態と同じですね。  自然界のサルやシカたちの子の成長段階も同様な軌跡を見せてくれます。  ということは、つまり人間の中の動物的な部分が思春期を過ぎた間もなくに“神掛 かり”ではなくなるということなのです、“神離れ”するということなのです。  ですから、「成人」なのです、“人に成る”のでした。「人間」として独り立ちす るのですよ。  「親離れ」して…

○そうして、思春期から二十歳あたりを境にして、

○そうして、思春期から二十歳あたりを境にして、「成人」はこの“自動的記憶”を主 な知識源とするようになってくるのではないかと、私は考えているのです。  幼児はそんなものなぞ持ってはおりません。知識そのものがありませんから専ら “受動的記憶”が為されます。  ですので、彼らは無条件に知識を取り入れるようになっているのです。 この“受動性的記憶力によって子供たちは確かな生活力が養われるのであろうことは…

○また例えば、メートル原器のような「尺度」や「判断基準」

○また例えば、メートル原器(現在は電子的なものに変わったそうですが)のような「 尺度」や「判断基準」というものがなかったならば世の中のどんなものであろうとそ の規模や形状を計り知りことが出来ないはずなのではないかと思うのです。  「あれは、あーだ、こうだ」と言う言葉は、「何は何々なのだから、それに 対して」という前提条件が設定されていなければ成立し得ないるものなのですね、  「今、晴れている」と言…

第二章 三通りの記憶力

第二章 三通りの記憶力  さて、一般的な記憶作業というものは、本来的には脳の中に既に記し込まれているも のとの比較で認識するものなのだろうと私は捉えております。  基準と成るものが既に存在していないと、それが大きかろうが派手なものであろうが 、「大きいぞ」、「派手だぞ」と捉え判断する基準となるものが無ければ対象物を認識 しないはずなのですね。  基準となる元のものがないことには、それとは認識し得な…