円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

”あるがまま”がまだ身に付かないならばそれはそれで結構なのです  

”あるがまま”がまだ身に付かないならばそれはそれで結構なのです     ”あるがまま”がまだ身に付かないならばそれはそれで結構なのです。これまでの人生道の辻々節々を経験して得た飾りではあるし武具でもあるし、なのですから早々は捨て得ないのが人情ですので順々でよいのです。 その順々の最初として弱さを認めるのはどうでしょうか。「私は弱い人間です」と口にするだけで良いのです。その途端に強くなることになるの…

”桃源郷”についてお話しましょう

 ”桃源郷”についてお話しましょう  人々が穏やかに和やかに暮らす理想的な郷⇒桃源郷=理想郷=ユートピア<桃源郷。  字面から受ける私の感覚では上のようになります。私たちが理想とする土地が桃源郷ですから即ちいわゆる理想郷です。理想郷という言葉は西洋で言うユートピアの訳語として考え出されたものですが、それならユートピア=桃源郷かと言うとチョッと違ってきます。西洋のユートピアは単に非合理なものを完全に…

自己の変革、自分自身の改造しを楽しみましょう

自己の変革、自分自身の改造しを楽しみましょう               人生上の最高の喜びの一つは自分自身を創り出すことにあります。自己の創造ですね。でもその前に自分の改造や自己変革を試みる段階があります。これも結構な喜びを伴うものですから結果を期待してください。  人間なんて誰もが自分の性癖のこんなところが嫌だ何とも悔やまれる、と自己嫌悪の情に打ちひしがれることがよくあるものです。何とか直した…

”前向き”の姿勢につきお話させていただきます

 ”前向き”の姿勢につきお話させていただきます。  人間の生命活動(つまり人生です)は未来志向が絶対的な前提になっております。 オギャーと産声を上げてからの成長の目覚ましさは勿論のこと、それ以前の母親のお腹に宿った時点から未来に向かって進歩を始めておりますから、私たちの人生には明日への向上性がお遍路さんのように”同行二人”として随伴していることになります。  ですから、人間は皆、未来志向が大前提な…

心質の良さと心の良さとは同じではありません、微妙に違います

 心質の良さと心の良さとは同じではありません、微妙に違います  心質の良さと心の良さとは微妙に違います。一般に人々が心の良い人と見る場合は心映えのする人を指しますが、これには社会や時代、国、地方、民族などの慣習性が大きくからんでまいります。考え方のいわゆる習い性ですね。 私が言う心質はどの社会にもどの時代でも共通的な普遍性のあるものを示しております。人間の本質に直結するようなものです。ですが先ずは…

コメントを寄せてくださった方々へ

コメントを寄せてくださった方々へ  さて、このところ”心質”という言葉を持ち出しています。言い出すことができたのです。ようやっとここまで来ました。7/10に”心質”についてコメントをいただいた「ボギーさん」に、改めて”心の質”につきお話できます喜びを今ひしひしと感じておりますところです。 ブログを書いている私としてはコメントをいただくほど嬉しいことはございません。反応していただけるあり難さはこの上…

涙は心の沈静装置

今日のざれ言  涙は心の沈静装置。辛い心を楽にさせ、悲しい心を楽にさせ、怒りの心を楽にさせ、喜びすぎてしくじらないよに心を静める装置です。 …

悲しみはなぜあるのかと聞かれました

今日のざれ言  悲しみはなぜあるのかと聞かれます。雨の日はなくてもよいのかと答えてはみました。雨は植物に悲しみを与えるのかと聞き返されました。それでハッタと気づいたのです。悲しみが心の滋養になっていたことをです。そしてまた悲しみが心の地下水の傍流だとも、です。本流はもちろん希望なのですから、この二つはあざなわれる縄のように支えあっているのです。それですから悲しみも希望同様、慈しんでくださるよう願う…

辛くてひどくてどうにも耐え得ないのに、それでもしかし家族のためにひたすら我慢を続けなければならない人へ

 辛くてひどくてどうにも耐え得ないのに、それでもしかし家族のためにひたすら我慢を続けなければならない人へ  どんな過酷な状況の中でも心身を病まないようにする方法はあります。「逃げ出せないと判断してこのまま継続することを決めたのは自分自身だ」と心に言い聞かせるのです。そうすれば辛うじてながらも主体性は確保できます。自分自身の生活を自分が中心になって運営している体裁にはなっているのですから、心身への圧…

”心の質”を高め風合いを深めましょう、”ヒゲ亀”で”あれとこれ”で

”心の質”を高め風合いを深めましょう。”ヒゲ亀”で”あれとこれ”で  日本人の多くはその長い歴史の間、食べるため生きるためだけの生活でした。一般の人々が知識や教養、趣味を云々できるようになったのは昭和30年代に入ってからのことではないかと思われます。心の余裕、精神の安定が模索され始めたのがこの頃ではないかと考えられるのです。もちろん長い伝統が息づくご家庭のことを言っているのではありません。市井(し…