円周率世界記録を達成した原口證が、自らの人生経験から得た教訓やコツについて、書き綴るページです。

☆ 7)「亀の六角」の法

☆ 7)「亀の六角」の法  今回は会社での会議の顛末(てんまつ)を的確に記憶する方法である。議題となった内容の所謂(いわゆる)5W1Hである”話の六要素”をしっかり把握しておけば後の仕事にその記憶が大きな力を発揮することになるはずだ。 亀の甲羅を思い起こしていただこう。亀甲模様は六角をしている。その角それぞれにその六要素をぶら下げるのである。否、ぶら下がった状態を想像して置くのだ。そうしておいて、…

☆ 6)「デフォルメ」の法

☆ 6)「デフォルメ」の法  数多の芸術家は己が作品の鑑賞性を極度に意識する。観る者の心を掴もうと企てるのである。専ら風景を描く画家だとしても決して見たままの通りに描き上げはせぬもので、印象的に細工する。 これを自分が自らやってみれば良い。例えば奈良の東大寺など旅先で目にした古刹の重厚な大屋根が一瞬の竜巻で吹き飛んでしまったとでも想像してみるのである。さすれば壊れた後の社会の騒ぎも偲ばれる等、その…

☆ 5)「置き換え」の法

☆ 5)「置き換え」の法  次に述べる話は私事であるが格好な例なので記憶の仕方の一法として取り入れる。 ずい分と昔のこと、運送業を営む筆者の従兄弟が交通事故に巻き込まれた事があった。今は亡き我が母が甥の大事とばかりに数㎞も離れた現場に徒歩で出向き、見てきて話すその内容の詳しかったこと。これが見知らぬ他人の事件だったなら勿論興味は湧くまいし、偶(たま)さか目にしたところで詳しくは記憶しまい。 また、…

☆ 4)「一字取り」の法

☆ 4)「一字取り」の法  憶え込みたい物の頭部分を繋げて文章にすると面白い物ができる。格好なオマジナイになるのだ。 例えば、家人に頼まれた買い物が「ピーマン、なす、きゅうり、トマト、りんご、さとう、みそ、しょうゆ、たまご、」だったなら、「ピー・な・きゅう・り・さ・し・み・ト(ッ)・た」として商店への道筋で時折、唱えて置けば怱々(そうそう)は忘れぬものだ。 「一字取り」の法とは言っているが「きゅう…

☆ 3)「名付け・題名付け」の法

☆ 3)「名付け・題名付け」の法  日常毎の些細な出来事は直ぐにも忘却の彼方に雲散霧消してしまうものだ。その後に思い出すことなんぞ勿論のこと皆無に近い。 だがだ、「名付け、題名付け」すると不思議に忘れぬようになる。 散歩中に見掛ける田んぼ脇の草刈り人には「草刈ますおさん、ご苦労さんです」と有名な俳優になぞらえて心の中で密かにねぎらいの思いを伝えるのである。 日没の薄暮れの中にひっそり風に揺れて健気…

☆ 2)「間違い技」の法

☆ 2)「間違い技」の法  覚えたいことをワザと間違えてみるのだ。初対面の方が板倉さんなら”板垣さんだったっけ?”、幕末の大老は”松平春嶽ではないのか”という風にだ。また私の名前の「原口あきら」を覚えやすくするなら、”あきらめる腹”とでもすれば良い。 妙なやり方ではあるが一ひねり分の心の動きが生じるから結構、記憶する。立派な一つの技と呼べるものではあるから「間違い技」と名付けている。  余談だが、…

☆ 1)「呪文」の法

☆ 1)「呪文」の法  先ず最初に、変化のない日々の暮らしの中に在ってツイツイ埋没しがちになる記憶への執着を再び思い起こさせる画期的な方法を披露しょう。多分、中高年の読者にはこの項が最も喜んで頂けるところだろう故。 簡単に行う動作なのだが事後ないしは後日まで是非に憶えておきたい事柄なのだ、という状況の際には、“今、私はこの事をこの様に行ったぞ”と心の中で二度ほど丁寧に、丁寧に呟いてみるのだ。“私は…

☆ 4、「記憶の創造」の概要

☆ 4、「記憶の創造」の概要  「記憶」は心の発動の結果である。心ここにあらずば記憶せず、である。心が動くから記憶するのだ。 記憶は“気置く”なのである。よって、心の動きが大きいほど記憶度合いが高くなる。 従って、「記憶力=感受力」であるならば感受性の衰える中年齢以降は、その代わりを心の動きである「心的興動力(筆者の造語)」にさせればよいのである。  心の動きを喚起させれば記憶力は向上するのだ。記…

☆ 3、考察

☆ 3、考察  神や仏は人の身に無用なものを与えはしまい。してみると長い“衰え”の期間にも深い意図を含ませてあるのではないだろうか。と、ここまで思惟したところで、はったと気づいたのである。 ・“発達期~衰退期”とみるべきではなく、“発達期~運用期”と捉えるべきなのではないか・衰退期とみられた間は、実は発達した能力を利用し運用する時期と読み取ったらどうだろうか  つまり、仏や神はこう言っているように…

☆ 2、能力衰退への疑念

☆ 2、能力衰退への疑念  だが、これはおかしい腑に落ちぬと筆者は思い始めた。「記憶能力」は生者の原点である。本日以前の活きた証の記憶なくして明日の生命活動は成り立たぬ。然るにそれが衰え始めたとなるとその先は、 ・“単なる余命”と堕してしまうではないか・天なる神が人類の生命能力を“本命”と“余命”とに分かれるような造り方をするだろうか・“寿命”が未だ随分とあるのに能力(体力も含め)が“衰える”現象…

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